環境・バイオの最前線

応用昆虫学

100万種を超える驚異の世界を描き、理学・農学・医学に貢献

【BOOK】『シロアリ -女王様,その手がありましたか! 』

松浦健二(岩波科学ライブラリー)

ここにはもうひとつの世界がある――シロアリの地下帝国に魅入られた少年は、長じてその繁栄の謎に挑む。同性カップルで子づくり?水中で一週間!?次々と明らかになる仰天の生態。そして体力と知力を尽くしてつきとめた、したたかな女王の「奥の手」とは……。〈かわいすぎる〉イラストとともに送る、ため息の出るような自然の驚異。応用昆虫学の鉄人若手研究者、松浦健二先生の著書。<岩波書店紹介より>

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応用昆虫学ってどんな学問?

地球は、昆虫の王国だ!

人類よりもはるか昔、4億年前に誕生した昆虫は、人間のように中央にある骨が体を支えるのではなく、硬い殻(から)が覆って体を支える。これは大変効率的な形態で、体は大きくはできないが、空を飛ぶなど驚異的な運動能力を実現した。

 

また、本能として遺伝子に組み込まれたダンス・コミュニケーション能力や、敵の目をあざむくため周りの環境やほかの生き物に自らを似せる「擬態」、さらには女王だけが子孫を残す社会の形成など、昆虫は人間など哺乳類とはまったく違う体の作りや能力を持っている。

 

そしてそれらが自然界の理にかなっていることは、哺乳類の種が約4500であるのに対し昆虫が100万種を数えることからもわかる。つまり明らかに生物界の勝者なのだ。私たちは人間こそが最も精巧な生命体と考えがちだ。しかし昆虫は、それとまったく異なる設計でも優れた生命体たり得ることを示している。

 

図1 脊椎動物とはまったく異なる昆虫の体

昆虫など節足動物の構造は、脊椎動物の骨に代わって体を曲げたり伸ばしたりできるように、節つきの殻があり、血管が中央に走り、心臓の数も複数などユニーク。しかし、体が大きくなれば殻も大きく重くなってしまうし、体を動かすためにとてつもなく大きな筋肉が必要になり、殻内に収まりきらなくなる。したがって、昆虫の体は大きくなれない。大きいものでは、南米に棲む翅(はね)を広げると30cm近いナンベイオオヤガが知られる。

 


農業の歴史は、害虫との戦いの歴史

そんな昆虫たちの優れた生存戦略が、人間の生存を脅かすことがある。農業に対する害虫となる場合だ。農業は単一の作物を密集して栽培するため、昆虫にとってかっこうのエサの供給場になる。だから、かつては一度害虫が発生するとまったく手の施しようがなく、その地域の農業とそれに依存する社会までも崩壊させていた。1732年の享保の大飢饉も、ウンカの大発生が稲作に大きな被害を与えたため起きたとされ、農業の歴史はまさに害虫との戦いの歴史だったともいえる。

 

危険な昆虫から、共存し、使える昆虫へ

だから明治時代、大学に農学部ができたとき、植物害虫としての昆虫を防除する方法を研究する学問が生まれた。1897年(明治30)、米を20%も減収させたウンカの大発生も、この学問誕生の大きなきっかけとなった。そこでは昆虫を集団としてとらえ、しかも植物との関わりを重視する必要があったため生態学が中心で、扱う昆虫はウンカ、ヨコバイ、アブラムシなど。

 

しかし、欧米で生まれたサイエンスとしての昆虫学が日本の大学理学部に根づかなかったため、扱う昆虫の種類が広がり、研究も新種の発見・命名、生存方法の記述など基礎的な領域まで含むようになった。


さらに医学部で基礎医学としての昆虫研究、つまり病原体を媒介するカやダニなどの研究がほとんど行われない(昆虫ではなく寄生虫学が知られる)ため、病原害虫も対象になった。

 

また現在では、昆虫が生産する物質を人間が利用しようとする工学的発想も取り込んでいる。カイコから良質の生糸をとる研究をする蚕糸学の流れに化学の手法を取り入れ、昆虫に遺伝子導入し、機能性食品の材料を作らせようという研究だ。

 

さらに、害虫を防除するのではなくうまくつきあう方法を模索する研究(総合的害虫管理学)もあるし、絶滅の危機に瀕する野生生物(いわゆるレッドデータ)の保護問題にも深く関わる。トビケラなどきれいな水の中でしか生息しない水生昆虫を、環境汚染の進み具合の指標にしようという研究も進む。今や応用昆虫学は、環境保全・自然保護の尖兵となろうとしているのだ。

 

【展望】
学問的活性度 ★★★☆☆
社会的要請度 ★★★☆☆

まだまだ広がる学問の世界

興味がわいたら!BookGuide

「ただの虫」を無視しない農業
桐谷圭治 築地書館
残留農薬は危ない。食の安全性から農産物への関心が高まるなか、減農薬や有機農法がようやく認知されるつつある。この本は、84歳でかくしゃくとする超人的な現役研究者が、20世紀の害虫防除を振り返り、21世紀の農業のあり方や手法を解説する。減農薬、天敵を使った防除などで害虫を防ぐだけでなく、自然環境の保護・保全まで見据えている。

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昆虫学ってなに?
日高敏隆 青土社
チョウと虫を語りだしたら止まらない。地中生活の長いセミに生きる歓びはあるのか?なぜ夏の到来を知るのか? 蝶は愛でられるのに、どうして蛾は嫌われるのか? どうして蝶はひらひらと飛ぶのか? 懸命に生きる小さな生命の驚異と不思議に迫る。世界的な動物行動学者で今も人気の根強い日高先生が語る“日高ワールド”の魅力満載の一冊だ。

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カブトムシとクワガタの最新科学
本郷儀人 メディアファクトリー新書
大きな角を持つカブトムシと、鋭い大顎のクワガタムシではどちらが強いか? 交尾後、メスを投げ飛ばすカブトムシと、覆いかぶさってメスを守るクワガタムシの違いとは? 両者の違いはどこから来るのか?  雑木林に篭り続けて10年、野外研究の第一人者の著者がカブトムシとクワガタムシの、意外性あふれた最新研究を数多く紹介する。

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働かないアリに意義がある
長谷川英祐 メディアファクトリー新書
女王バチのために働く働きバチ、黙々と大きな荷物を運ぶアリ。しかし実際に観察すると、アリもハチもその7割はボーッとしており、約1割は一生働かないことがわかってきた。発見した著者は、アリやハチなどの集団社会の研究から動物行動学と進化生物学の最新知見を紹介。人間が思わず身につまされてしまうエピソードを中心に、楽しみながら最新生物学がわかる科学読み物だ。

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ダンゴムシに心はあるのか

森山徹 PHPサイエンス・ワールド新書

庭先にいる触ると丸くなるダンゴムシ。このダンゴムシにも「心」があると考え、行動実験を試みた若い研究者がいた。迷路実験、行き止まり実験、水包囲実験など、未知の状況と課題を与え、ついにダンゴムシから「常識」では考えられない突飛な行動を引き出すことに成功した。著者は比較認知科学、動物行動学の専門家。大脳がないダンゴムシにも心があり、道具を使う知能もあることを示唆するユニークな実験を紹介し、「心‐脳」問題に一石を投ずる。

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応用昆虫学の研究者

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