哲学・倫理学
わかっちゃいるけどやめられない悪人こそ救われる~『親鸞~悪の思想』を読んでみた!
~栃木県立宇都宮高校オーサービジット
伊藤益 先生
筑波大学 人文・文化学群 人文学類 哲学主専攻 倫理学コース/人文社会科学研究科 哲学・思想専攻

『親鸞~悪の思想』(集英社新書)の著者、筑波大学の哲学者、伊藤益先生によるオーサービジット。親鸞といえば、鎌倉時代の名僧、日本最大の仏教教団・浄土真宗の開祖だということくらいは有名です。しかし非常に難解な仏教思想家として知られます。
これに挑んだ栃木県の宇都宮高校の図書委員会の面々。最初、緊張感に包まれましたが、一気に解きほぐしたのは、伊藤先生のある一言でした。その後、堰を切ったように率直で鋭い質問が続出しました。とてもユニークだった仏教思想講座の模様をお伝えしましょう。
撮影・制作 木下雄介
第1回 親鸞の教えを一言で述べよう~植木等のスーダラ節とのふしぎな関係

親鸞は1173~1262年、平安時代末期に生まれ、鎌倉時代を生きた僧です。高校生にとって中世史は馴染み薄いし、私の本は新書としては難解な部類に入ると思います。だから内容的にわかりにくいというのは仕方ないと思います。
またこの本は15年も前に書いた本です。無責任なことをいうようですけど、本というのは一旦著者の手を離れてしまうと、それについてとやかく言う権利は著者にないんですね。だからどんなふうに読まれても仕方がない。自由に読んでいただけたらと思います。
しかし偉大な思想家ほど、その人生を非常に簡潔に一言で説明できます。例えば30年来の私の専門はドイツの哲学者カントです。カントは、一言で言うと、意思と道徳法則をどう一致させるか考え続けた哲学者と言えます。同様に、親鸞の教えを一言で述べてみましょう。
植木等というコメディアンがいました。クレージーキャッツというコミックバンドのメンバーで、俳優です。代表作に映画「無責任男シリーズ」があります。チャラチャラした男が出世していくというようなストーリーです。植木等自身が歌った主題歌に「スーダラ節」があります。ちょっと歌ってみましょう。
♫ちょいといっぱいのつもりで飲んで いつの間にやらはしご酒 気がつきゃホームのベンチでごろ寝 これじゃ体にいいわけないよ わかっちゃいるけどやめられない すいすいすーだらだったすらすらすいすいすい~
(爆笑、拍手喝采)
この歌詞の中の「わかっちゃいるけどやめられない」。これが親鸞上人の教えを端的に表しています。わかっちゃいるけどやめられない人間を、どうしたら救えるか。一言で言うと、これが親鸞の生涯のテーマになりました。
人間は、わかっちゃいるけど(悪いことを)やめられないようにできているんです。うちの大学生は、「伊藤のくだらない授業なんかさぼってやろう」と常に思っている。実は、私自身心臓の持病持ちで酒もタバコも禁止されているのですが、わかっちゃいるけどやめられない(笑い)。そういう悪人こそ、阿弥陀さまによってお浄土に救われるんだということ。それが親鸞の提唱した「悪人正機説」です。
この分野はどこで学べる?
興味がわいたら
私釈親鸞
伊藤益(北樹出版)
初期仏教から親鸞に至るまでの仏教思想史を通史的に捉えた上で、親鸞思想の核心に迫る。大学の講義録で高校生にもすすめることができる。
親鸞の思想は、悪の問題を主題として展開されている。親鸞にとって悪とは道徳的・倫理的な意味での悪ではない。それは人間の存在そのもの(生きて在るということ自体)にまつわる悪である。自著ながら、このことを明確にした点で、学問的に重要な意味を持つ書と考える。
歎異抄第三条には「善人なほもつて往生を遂ぐ。いはんや、悪人をや」ということばがある。本書はこのことばを、人間が他の生命体や他の人間を排除する在りようを「悪」と捉えるものと解する。特にこの点を読んでほしい。
倫理学は人間の善悪の判断について、その基範を問う学であるが、本書を通じて、悪が相対的なものにとどまらず、絶対性を以て人間に迫ってくることが明らかになる。すると、いままでのように、善悪の問題に相対化してとらえる倫理学の研究が、その根底からゆるがされることになる。
法然と親鸞の信仰
倉田百三(講談社学術文庫)
法然の『一枚起請文』と親鸞の『口伝歎異抄』というわかりやすい二つの古典を分析することによって浄土教の本質に迫まっている。宗教に関心のある高校生にすすめられる。