倫理学・日本思想
わかっちゃいるけどやめられない悪人こそ救われる~『親鸞~悪の思想』を読んでみた!
~栃木県立宇都宮高校オーサービジット
伊藤益先生 筑波大学 人文・文化学群 人文学類 哲学主専攻 倫理学コース/人文社会科学研究科 哲学・思想専攻
第3回 お釈迦様のような宗教の教祖も人間ですが、お釈迦様は悪人じゃないのですか?

いま質問してくれた君によると、親鸞でもどんな宗教の創始者でも、最初、悪人だった人間が、どうして神や仏になっていくのかということですね。
ドイツの哲学者、フォイエルバッハは、神は人間が神と見立てたものに過ぎないと言っています。つまり人間が神と見立てたものが宗教になるだけだというわけです。でもキリスト教や仏教の伝統の中では、教祖は最初から普通の人間存在ではないのです。
キリスト教であれば、神=デウスと、救世主=キリストと精霊の三位一体化していて、最初から人間を超えた何かとして想定されているわけです。仏教の場合だと、お釈迦さまのことを、最初ゴータマ・シッダルーダといいます。たしかにお釈迦様は、釈迦族という部族の王子として生まれました。でもお釈迦様は最初から人間として想定されていないんです。われわれ人間とは一線を画した超越者と見立てているんです。
そういう意味では、われわれ人間はとんでもない悪人なんだけれど、神や仏はこれはもうはじめから善そのものだということになっています。そういう想定で宗教の物語は組み立てられているんです。そういう物語そのものが気に食わない、だから宗教は信じられないという言い方は可能ですが、人間を絶する存在だと考えるのが宗教なんです。
たしかにキリストやお釈迦さまは、人から生まれました。しかし宗教の教祖は生まれ方も尋常じゃないものとして描かれています。キリストの場合でも、マリアの処女懐胎の奇跡で生まれましたね。お釈迦さまも母の右脇から生まれたと描かれています。たとえ人間だったとしても、人間とは隔絶した存在を認めるのが宗教というものなんです。
興味がわいたら BookGuide

『私釈親鸞』
伊藤益(北樹出版)
初期仏教から親鸞に至るまでの仏教思想史を通史的に捉えた上で、親鸞思想の核心に迫る。大学の講義録で高校生にもすすめることができる。
親鸞の思想は、悪の問題を主題として展開されている。親鸞にとって悪とは道徳的・倫理的な意味での悪ではない。それは人間の存在そのもの(生きて在るということ自体)にまつわる悪である。自著ながら、このことを明確にした点で、学問的に重要な意味を持つ書と考える。
歎異抄第三条には「善人なほもつて往生を遂ぐ。いはんや、悪人をや」ということばがある。本書はこのことばを、人間が他の生命体や他の人間を排除する在りようを「悪」と捉えるものと解する。特にこの点を読んでほしい。
倫理学は人間の善悪の判断について、その基範を問う学であるが、本書を通じて、悪が相対的なものにとどまらず、絶対性を以て人間に迫ってくることが明らかになる。すると、いままでのように、善悪の問題に相対化してとらえる倫理学の研究が、その根底からゆるがされることになる。
[出版社のサイトへ]


『法然と親鸞の信仰』
倉田百三(講談社学術文庫)
法然の『一枚起請文』と親鸞の『口伝歎異抄』というわかりやすい二つの古典を分析することによって浄土教の本質に迫まっている。宗教に関心のある高校生にすすめられる。
[出版社のサイトへ]

中高生におすすめ BookGuide


