ニューリーダーからの1冊
地球外生命がいると思うか
『星を継ぐもの』ジェイムズ・P・ホーガン 池央耿:訳
皆川純先生 総合研究大学院大学

数年前、あるシンポジウムのパネル討論でとても印象的なことがありました。司会の立花隆氏が問いかけた「地球外生命がいると思う人は?」という問いに対し、物理学の研究者の多くは「きっといる」と楽観的に答えたのに対し、私を含めた生物学の研究者の多くは「いるとは思えない」と悲観的に答えたのです。(そのシンポジウムの内容はのちに『地球外生命9の論点』(講談社ブルーバックス)として出版されたので、よろしかったらそちらもどうぞ。私も寄稿しています。)
もちろん正解は誰にもわかりません。ただ、物理学者と生物学者の考え方に根本的な違いがあることが見事に明らかになったシーンでした。生物の進化は物理法則という「必然」に従いつつも、同じ確率で起こりうる無数の状態の「奇跡的な」選択を繰り返してきた歴史です。生物学を学ぶと、そのことを痛感させられるのですね。ですから、われわれの存在のような「奇跡」がもう一度あるということに確信など持てるはずもないのが生物学者なのです。
さて、表題の小説は私が大学1年生になりたての4月に読んだSFです。1977年に書かれた本ですが、今読んでも全く古さを感じさせません。未来予測もかなりいい線行っています。ある日、月面で人間の死体(チャーリー)が発見されたところから物語が始まります。現代人とそっくりの外見だったので、月面探査隊の一員がはぐれたのではないかと思われたのですが、年代測定をしてみてびっくり。なんと5万年前の死体でした。5万年前に人類が月面にいたとはどういうことか? 世界中の科学者が総力を上げてチャーリーの生物学的特徴、所持品の分析などに取り組みます。チャーリーは一体どこからやって来たのか、仮説が立てられてはひっくり返り、最後には我々が信じてきた太陽系の歴史を根本的に見直さざるを得なくなるという壮大な物語です。
これまで実際に謎とされてきたことも説明されてしまいます。例えば、なぜ月の裏側はクレーターだらけで“海”がなく、表より地殻が厚いのか。われわれよりも脳の大きかったネアンデルタール人が、なぜ数万年前に突如絶滅しホモ・サピエンスに取って代わられたかなども説明される、痛快な結末を迎えます。これ以上筋を語るのは野暮ですから、どうぞ手に持って読んでみてください。ハードSFという分野は、いくつか突飛な設定はあるものの、その他は論理的に構成されています。妖精が出てきたり神が出てきたりということはないので、理系の諸君にも受け入れやすいと思います。
物語のヒーローは物理系のヴィクター・ハント博士で、彼の深い洞察力が解明の推進力となります。ただし、私の印象にもっとも残ったのは、脇役で登場する生物学者クリス・ダンチェッカー教授でした。教授は進化論をもとに持論を展開します。例えば、物理系の解析にもとづき、チャーリーと現代人は別々の惑星で進化したとの結論に一旦は落ち着きます。しかし教授は、「現代人とそっくりのチャーリーが現代人とは別々に進化したということは、進化論の原理からすればありえない!」と言うわけです。そして、少々ひねくれものだが生物学の原理に忠実なこの生物学者の一言によって、最後に本当の解決がもたらされます。

時がすぎ、あの当時生物学者を志す大学生だった私は生物学者になりました。当時はピンと来なかったダンチェッカー博士の考え方が今ならよくわかるのです。冒頭でシンポジウムのパネル討論の話を書きました。あの時、立花隆氏の問いかけに私が言いたかったのは、私たちのような知的生命体がアンドロメダ星雲の惑星の上に立っているとは、進化論の原理からすればとても考えられない!ということだったのです。
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