太陽系探査科学

『星のかけらを採りにいく―宇宙塵と小惑星探査』

著者 矢野 創先生 JAXA宇宙科学研究所

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科

Interview/プレイバック&フューチャー

はやぶさ成功の次の目標は「宇宙の隣人」探し!

矢野創先生
矢野創先生

――矢野先生の子ども時代を聞かせてください。どんな少年でした?

 

理科や工作が好きな少年でした。同じくらいに旅も大好きでした。6歳のとき、当時住んでいた東京杉並区の西荻窪から、隣駅の吉祥寺にある動物園へ、30円だけ持って一人で往復したことがあります。当時の西荻窪―吉祥寺間の国鉄の往復小人料金は20円。3つ目の10円玉は、道に迷ったとき家に電話する公衆電話代でした。次に従兄弟と二人で同じ動物園に行ったとき、帰りに高架線に沿って一駅分歩き、浮いたお金でおやつを買いました。親からはひどく叱られましたが、それまでブラックボックスだった電車の路線と道路が私の心の地図上で初めて繋がりました。これが私に旅の虫が巣食ったきっかけでした。

 

その後私は東海道を歩いたり、日本一周をしたり、と頭と体を駆使した冒険を好む少年時代を送りました。その延長線上で米国の高校や大学、英国の大学院も、自然と自分の進路の選択肢になっていきました。

 

子どものころ、宇宙を職業にしようと思ったことはありません。思い返してみれば、理科好き、工作好き、旅好きという自分の興味に忠実に行動する子だったかなと思います。行動原理は「やってみたい」「やれるんじゃないの」「じゃ、やってみよう」の3ステップ。あまり深く考えないで行動するというか…(笑)。でも、今の仕事はまさに科学(理科)、技術(工作)、探査(旅)の三本柱の上に成り立っているので、我ながら成長がないというか、いや「三つ子の魂」というべきかも知れませんね(笑)。

 

――宇宙へ最初に興味を抱いたときのことを聞かせてください。

 

私自身は、アポロ11号の月面着陸はリアルタイムの記憶がないんです。まだ1歳でしたので。自分がようやく地球を歩き出した頃、人類代表が初めて月を歩いたという感じ。アポロ計画はその後、20号までの予定だったのが17号で打ち切られてしまい、アメリカは余ったロケットを改造して、1970年代半ばにスカイラブ宇宙ステーションを作るんです。その中で3ヵ月間宇宙飛行士が生活をするんですが、そこで「腕を使わないで腕立て伏せ」をするというシーンは、子供心にすごく焼きついています。最初は片腕だけで腕立て伏せを、最後には両腕も離して、足首だけで(腕?立て伏せを)やるんです。微小重力という地上とは違う環境の不思議に、強い興味を持ちました。

 

もう一つ大きいのは小学校高学年から中学校時代に邂逅した、NASAのボイジャー1、2号による土星・木星の探査です。それから同じ頃、スペースシャトルの初号機が飛んだ。米国の宇宙探査科学者のカール・セーガンの著書『コスモス』が日本でもベストセラーになった。私たちの世代は、これら同時多発的に起きた宇宙探査のイベントに強烈な影響を受けていくんです。

 

――高校時代、米国留学したこと経験を聞かせてください。

 

自分が興味のあるものの中で、どうも宇宙が一番面白そうだと思ってから、選択は速かったんです。もっと宇宙のことを学ぶにはどこへ行けばいい?当時の日本はまだこの分野では世界の一線には届いていなかったので、アメリカかソ連に行くのがベストな方法らしい。全国の高校生から公募して1年間交換留学させてくれる「AFS財団」という国際非営利団体があると、そこまで調べました。だから中学1年時には、高校で宇宙を身近に感じられる国へ留学するという目標をすでに持っていました。

 

1984年、都立高校2年のときにAFSに選抜され、念願の米国留学に旅立ちました。アメリカの宇宙事情は刺激的でした。スペースシャトルはチャレンジャーの事故が起こる前の年でしたし、毎日、なにかしら宇宙関連のニュースが新聞・ラジオ・テレビで流れる。スペースシャトルが帰還したらそのたびに特集が組まれるなど、日常と宇宙が非常に近いんです。それは強烈にうらやましいと思いました。

 

――大学進路の選び方は?

 

私は、いわゆる日本的な受験進路を決める前に渡米しました。むしろアメリカの一年間かがあったおかげで、自分の進学希望を明確に自覚できるようになったと思っています。大学の進路もそうです。世界トップレベルの天文学科を持つカリフォルニア大学バークレー校で勉強したい一心で、交換留学のできる国際基督教大学を選びました。

 

大学3年時、バークレーへ行き、365日24時間!天文学漬けの暮らしでした。卒論で宇宙塵の研究結果を英語で書き、それが評価されて英国ケント大学大学院へ行きました。博士論文ではスペースシャトルで回収した3基の地球周回衛星に衝突した宇宙塵とデブリを実測した研究結果をまとめました。そうした研究テーマは、はやぶさによる小惑星サンプルリターン計画まで一貫してつながっています。

 

――これからしたいことはなんですか?

 

2014年打ち上げ予定の「はやぶさ2」計画の立ち上げのためには、はやぶさの成果と経験を次の世代に引き継いでもらって、日本に太陽系の始原天体探査を根付かせようと、死に物狂いでいろんな準備をしました。それを軌道に乗せつつある今、私の世代だからこそ始められるという新時代の宇宙探査プロジェクトを作りたいと思っています。宇宙塵から生命誕生のナゾを探るという仕事です。

 

ひと昔前まで、「地球がなければ生命もない」という考え方が広く支持されていました。ところが宇宙塵の中に少なくとも生命の一歩手前のアミノ酸のような有機高分子が含まれていることがわかってきました。アミノ酸があればあとはDNAの遺伝情報を複製する仕組みさえ獲得できれば「地球型生命」が誕生すると考えられます。この宇宙塵中に存在する物質を「生命前駆物質」といいます。こうした生命前駆物質は地球だけでなく、火星にも、木星や土星の衛星にも降り注いだはずです。特に木星や土星の衛星には内部に液体の海を湛えているものがあります。

 

私はそうした「地球外の海水」にまつわる試料をサンプルリターンして、地球の生命とは異なる進化の系統を辿った生命、いわばわれわれ地球型生命の「隣人」の痕跡を探すプロジェクトを立ち上げたいと考えています。その実現のためには、大きな技術課題がまだいくつも残っていますが、その実現に向けて第一歩を踏み出すことこそ、私たちの世代が次世代に残すべきバトンだと思っています。

 

――最後に高校生へメッセージをお願いします。

 

国内の少子高齢化と世界経済の激動を考えると、日本国内の教育環境は今後、間違いなく二極化していくと思うんです。一つは従来通り日本国内で競争する、文部科学の枠内での高校・大学進学コース。もう一つは、激動する世界に若くして飛び出し、世界中の優秀な人たちと競争する道です。私はときどき、将来、日本国が地球上から消えてしまっても残る日本人のアイデンティティーってなんだろう、と考えます。マルコ・ポーロやマゼランがフロンティアへ挑戦した足跡によって、すでに消滅した欧州の国々の子孫のアイデンティティーが、人類の歴史上で今も色あせずに輝いているように。そう考えたとき、この先人口的にも経済的にも縮んでいく日本という島国でしか通用しないロジックの中で生きていくというのは、若い知性にとってとてももったいないと思うのです。

 

高校生だった1980年代に私は、「宇宙探査を自ら実現していない日本の大学で、人類の最先端である太陽系科学を学ぶのは難しい」と思い、進路に欧米を選びました。30年後の現代でも高校生ともなれば、皆さんの人格はほぼ出来上がっていると思います。だとしたら、あとは自分が信じた道を選ぶしかない。

 

年齢を重ねるほどに、大人には否応なく外側から制約がかかってくるものです。せめて高校生のときは、自ら自分自身に制約をかけることはしないほうがいい。たった一回の入試で決まる人生より、世界中の70億人にインパクトを与えられる人生に賭けるという選択肢を掴んでもいいんじゃないか。そう思います。

 

 

太陽系探査科学の研究者・学べる大学

興味がわいたら ~おすすめbook・movie・etc.

星のかけらを採りにいく―宇宙塵と小惑星探査

矢野創(岩波ジュニア新書)

日本人の記憶に新鮮なインパクトを与えた、2010年、小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還。前人未到の試みだったのは、地球重力圏外にある小惑星イトカワに着陸して、宇宙塵、つまりその星のかけらを人類で初めて“お持ち帰り”することでした。その試料採取任務の責任者で宇宙塵の専門家、矢野創先生(JAXA宇宙科学研究所)が、宇宙塵研究、さらには宇宙探査の現場から新たな挑戦を語ります。先生の生い立ちをコラムにした「わたしの旅路」は進路選択の参考になるはずです。

[出版社のサイトへ]

プラネテス  

幸村誠(講談社)

<漫画、アニメ>スペースデブリ問題を正面から描いたSF。一般人が宇宙に出て行くことの意味を考察。

[出版社のサイトへ]

 

はやぶさ/HAYABUSA

(20世紀フォックス製作)

<映画>市井に生きながら宇宙探査を行う科学者、技術者の日常を淡々と描いた事実を基にした創作映画。

[出版社のサイトへ]


2001年宇宙の旅

A.C.クラーク(早川書房)

子供の頃、大人になったら実現すると思っていた未来予想図。それは自動的には実現しないと理解したとき、自分が宇宙分野でなすべきことを真剣に考え始めた。

[出版社のサイトへ]

小惑星探査機「はやぶさ」の超技術

監修: 川口淳一郎 編者:「はやぶさ」プロジェクトチーム(講談社ブルーバックス) 

世界初の小惑星サンプルリターンを実現した宇宙探査ミッションを、開発・運用の当事者たちの視点からリアリティを込めて解説。

[出版社のサイトへ]


先生が中高時代・大学時代に影響を受けた本を紹介

コスモス 

カール・セーガン(朝日新聞出版)

宇宙の中の人類という視点を、多数の印象的なビジョンを通じて読者に与える科学ノンフィクションの古典。

[出版社のサイトへ]

「明治」という国家 

司馬遼太郎(NHK出版)

現代日本人のアイデンティティの根幹を洗い出した文明論。

 [出版社のサイトへ]


南へ~エンジュアランス号漂流 

アーネスト・シャックルトン(ソニーマガジン)

PMBOKという概念がなかった時代にフロンティアへ挑戦したプロジェクトが、どのように危機的状況から生還できたか。探査計画の心構えと示唆に富む。

風は偉大なるものを奮い立たせる 

エリソン・オニヅカ

スペースシャトル・チャレンジャー号事故で殉職した日系アメリカ人宇宙飛行士の伝記。大学時代のロールモデル。NASA時代にご婦人には「ヒューストンの母」として親しくして頂いた。

 


先生のことをもっと知りたい!

矢野創 プロフィール

1967年東京都生まれ。現在、JAXA宇宙科学研究所・助教。米国コネチカット州立高校に留学後、東京都立西高等学校を卒業。国際基督教大学に入学して物理学を専攻し、3年時に交換留学生としてカリフォルニア大学バークレー校で天文学を学ぶ。英国ケント大学院宇宙科学博士課程修了。博士論文で宇宙塵とデブリを研究し、直後に旧文部省宇宙科学研究所(現在のJAXA宇宙科学研究所)へポスドク着任。回収型SFU衛星で日本初の宇宙塵・デブリ実測や世界初のしし座流星群の航空機観測を実現。1998年NASAジョンソン宇宙センターへ着任したが、翌99年、はやぶさサンプルリターン計画の公募を見て「ここで手を挙げなければいつ挙げるんだ?」と決意。再び宇宙科学研究所へ。2003年はやぶさの打ち上げ、2010年の地球帰還は人も知るところ。大学での授業としては、慶応義塾大学院システムデザインマネジメント研究科で「Frontier Project Management」、慶応義塾大学院理工学研究科で「Space System Engineering」などを教えている。著書に『星のかけらを採りにいく』(岩波ジュニア新書)、『小惑星探査機「はやぶさ」の超技術』(講談社ブルーバックス 共著)等がある。