市民社会の政治学

「市民と政治」を問う政治学リーダー・杉田敦先生、高校生と対論
~政治への無関心、そして18才選挙権、公民教育とは?

杉田敦先生 法政大学法学部

〜桐光学園中学校・高等学校との協力企画


杉田先生の本 『これが憲法だ!』
長谷部恭男、杉田敦(朝日新書)
気鋭の憲法学者と政治学者が、9条、集団的自衛権、日米安保、人権など主要争点を徹底的に議論した。「憲法は国家という法人の定款である」「護憲派も改憲派も条文にこだわりすぎ」「絶対平和主義は立憲主義に反する」「アメリカもフランスも押しつけ憲法」「憲法解釈は芸である」「国の安全に関わる重要な問題を、内閣法制局や憲法学者だけに任せていていいのか?」「憲法で縛るより、国会でその都度議論すべきではないのか?」などなど。日本人として生きてきたならば、本来誰もが考えておくべきにも関わらず、ほとんど考えられてこなかった視点を示してくれる、スリリングで最先端の憲法対論。

今、日本の社会ではデモクラシー、つまり民主主義が問われています。原発稼働に関しても、市民の主体的な意思との関わりが問われています。衆議院を通過した安保関連法案も、新聞などをにぎわせます。

こうした現状において、危機感を持ち積極的に発言している気鋭の政治学者がいます。杉田敦先生(法政大学教授)。早くから市民から世界レベルまでの「デモクラシーの重層化」という考え方を論じ、最近では『みんなで決めよう「原発」国民投票』という市民グループの代表(宮台真司と共同代表)も務めます。

そんな杉田先生が、まさに来年に迫る選挙権の18歳以上への引き下げを控えて、高校生の前に現れました。そして、無関心になってしまっている日本の現状を解説してみせました。さらにそれに基づいてのディスカッション――。ここで、それを紹介しましょう。「政治は何のためにあるのか」というテーマを企画し、会場になった桐光学園高校、中学生も含めて300人はその熱さに、最初は冷ややかだった生徒も、次第に巻き込まれていきました。

<2015年6月13日 桐光学園中学校・高等学校の課外授業にて>


第1回 18歳以上投票権のもたらす問題とは?

~政治とは、意見の多様性を互いに認め合うこと

<先生からのお話し>

杉田敦先生
杉田敦先生

講義は、「なぜ若い人は政治に無関心なのか?」という問いかけから始まりました。その裏づけとして、平均投票率50%、20代の若者のそれは20~30%という選挙投票率の低さをデータで示し、来年には投票年齢が18歳に引き下げられることが確定的であることに言及。「選挙に行きたくとも、どこの政党に投票したらいいかわからない」という若者の戸惑いの声を例に挙げました。

それに対し、杉田先生は、「政治とはそもそも、政策について多様な意見があることを認めること、その意味で誰もが“偏って”いることを認めることだ」と指摘します。「選挙権を18歳に引き下げ、投票する権利を与えることは、各人のこの“偏り”を各人に主体的に選択させること」と、会場の高校生に突きつけました。

現状のどこが間違っていて、何を変えればいいのでしょう。杉田先生はまず、若い人の政治的無関心をなくす方策として、有権者教育、特に中高生には、意見の多様性を認め合う公民教育にかかっていると訴えます。

ひるがえって今の公民教育の現状はどうでしょう? 先生は、「今の公民教科書を見てみると、教科書は憲法に則って書かれ三権分立をはじめ世の中の仕組みがわかるという良い点がある」と、まず公民教育は憲法の理念に沿って書かれていることを指摘します。

確かにその点では、今の高校生も制度の知識には詳しいと言えます。しかし半面、憲法がなぜ必要なのか、公民教科書には根本的なことが書かれていません。これでは単に制度の知識はあっても、高校生は権利意識、とりわけ人権について学ぶことはできません。

憲法と人権の関係について、「憲法に基本的人権が書かれているから人権があるのでない。もともと生まれながら人権があるから、それが憲法に書かれている」と、杉田先生は鋭く指摘します。今の公民教育では、この有権者の権利教育ができていない以上、投票意識は育たないというわけです。

“偏る”ことを恐れずに認め合う公民教育はどうすれば可能なのでしょうか。選挙権を認める以上、学外での(政治的)活動も認められるのかどうか。あるいは対立軸のあるディベートを積極的に教育に取り入れることも1つの選択肢なのかもしれない、と杉田先生は具体的な方策を示します。ディベートが活発に行われれば、政治について、様々な考え方があるのだということが正しく認識されることになるでしょう。こうした方策がなければ、高校生は何を基準に投票すればいいのかもわからず、18歳選挙権は制度倒れで機能しないだろうと、分析を深めていきました。

杉田先生の講義は、世の中や国会で紛糾している問題を冷静で多角的に捉えます。そんなものの見方に触発され、講義後、高校生との白熱した質疑応答が生まれました。


興味がわいたら Bookguide

『これが憲法だ!』
長谷部恭男、杉田敦(朝日新書)
気鋭の憲法学者と政治学者が、9条、集団的自衛権、日米安保、人権など主要争点を徹底的に議論した。「憲法は国家という法人の定款である」「護憲派も改憲派も条文にこだわりすぎ」「絶対平和主義は立憲主義に反する」「アメリカもフランスも押しつけ憲法」「憲法解釈は芸である」「国の安全に関わる重要な問題を、内閣法制局や憲法学者だけに任せていていいのか?」「憲法で縛るより、国会でその都度議論すべきではないのか?」などなど。日本人として生きてきたならば、本来誰もが考えておくべきにも関わらず、ほとんど考えられてこなかった視点を示してくれる、スリリングで最先端の憲法対論。

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『学力幻想』
小玉重夫(ちくま新書)
学力の低下や格差を招いたと多くの批判を受けた「ゆとり教育」と、そこからの揺り戻し。この対立図式の背景にあるのが、私たちの学力への過剰なとらわれであり、「子ども中心主義」と「『みんなやればできる』という幻想」という二つの罠であるという。学力をめぐる誤った思い込みをえぐり出し、教育再生への道筋を示す。著者の専門は教育哲学。18歳選挙権について、教育現場で高校生が政治的な教養を養う公民教育に力を入れるべきとしている。

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『デモクラシーの論じ方 ─論争の政治』
杉田敦(ちくま新書)
民主主義、民主的な政治とは何か。いろいろな意見の対立や争点が生まれてくる中、物事を「民主的」に決めるとは、どういうことか。古くて新しいこの難問について、対話形式を用いて考える試み。

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『政治的思考』
杉田敦(岩波新書)
「速やかに決めることが政治の仕事」「政権は選挙時の約束どおりに実行すべき」「自分たちの選んだ政治家が力をもつことこそが民主主義」「権力を制限することで自由を確保できる」……もっともに見える、こうした主張とは、異なる政治の考え方を示す本書。決定・代表・討議・権力・自由・社会・限界・距離という8つのテーマで、政治的に考えるとはどういうことなのかを明らかにする。

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『社会の喪失』
市村弘正、杉田敦(中公新書)
社会問題に関するドキュメンタリー映画を素材に、原発、公害など、現代日本のいくつかの断面から、時代や社会のあり様について、根底から考える対談。戦争をどう考えるか。いま私たちの社会から何が失われつつあるのか。危機のありかとその根深さを探る。

『高校生と考える日本の問題点―桐光学園大学訪問授業』
伊東豊雄・内田樹・宇野重規・金森修・金子勝・姜尚中・小林富雄・斎藤環・椹木野衣・白井聡・田中優子・長谷部恭男・蜂飼耳・平田竹男・福嶋亮大・藤嶋昭・美馬達哉・森山大道・吉田直紀・湯浅誠(左右社)
桐光学園の2014年度「大学訪問授業」が一冊になった。「指導者の大人で君たちの幸福を考えている人はほとんどいない」という内田樹、「どうしたら人を信頼できるか。漱石はそのことを考えた人です」と姜尚中。斎藤環、藤嶋昭をはじめとする講師陣が、中高生に向き合っているからこその本音で、日本の問題点を語った。経済のこれから、憲法の考え方、日本史の真実、宇宙の仕組み、そしてコミュ力まで、これ一冊でいまの常識(の限界)と現実が見えてくる。2015年実施の「大学訪問授業」も来年、本になる予定だ。

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『何のために「学ぶ」のか 中学生からの大学講義1』
外山滋比古、前田英樹、今福龍太、茂木健一郎、本川達雄、小林康夫、鷲田清一(ちくまプリマー新書)
毎年1冊にまとめられてきた桐光学園「大学訪問授業」の08~13年の6冊から抜粋、再編集した新書判シリーズの1冊め。大事なのは知識じゃない。正解のない問いに直面したときに、考え続けるための知恵である。「100点満点は人間の目ざすことじゃない」という外山滋比古、「脳の上手な使い方」の茂木健一郎、「学問は『脳みそのパン』である」という本川達雄、「じぐざぐに考える知的体力」の鷲田清一等々…変化の激しい時代を生きる若い人たちへ、学びの達人たちが語る、心に響くメッセージ。他に、『2.考える方法』『3.科学は未来をひらく』『4.揺らぐ世界』『5.生き抜く力を身につける』がある。

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