ももクロ主演映画&舞台『幕が上がる』原作者
平田オリザさん 伝えること、表現することを語る
~演劇とコミュニケーション

平田オリザさんの本
ももクロ主演映画&舞台で話題、『幕が上がる』の原作
(講談社文庫)
地区大会すら勝ったことのない弱小高校演劇部が、学生演劇の女王だった新任の先生の「行こうよ、全国」という言葉に引っ張られ、全国大会出場を目指す1年間の物語。演劇強豪校からの転校生、進路への迷い、大事な人との突然の別れ・・・。彼女たちの舞台はどんな幕を上げるのか?!
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「私たちを乗せた銀河鉄道は、まだ走り出したばかりだ。」
~『幕が上がる』エピローグより
『幕が上がる』の原作者の平田オリザさんは、現代演劇の改革者と呼ばれる劇作家・演出家です。わざとらしい台詞(せりふ)回しや大げさな動作をよしとする既成の演劇理論に真っ向から挑戦し、ごく普通の人間同士の自然な会話や動きによる「静かな演劇」と呼ばれる新しい演劇のスタイルを打ち出して、日本だけでなく世界の演劇界に大きな影響を与えました。
みらいぶの企画で映画『幕が上がる』の感想文を書いた小坂真琴くん(高校3年生)と、この春高校を卒業したばかりの女優の堀春菜さんがインタビューしました。
お話をうかがったのは劇団の稽古場。ドキドキしながら待つ私たちの前に「やあ、こんにちは」と現われた平田さんは、こんな先生の授業って楽しいだろうな、と思われるようなやさしい笑顔の方です。でも、穏やかな笑いに包まれた言葉の一つひとつはきっぱりとして揺るぎがなく、ぐいぐい引き込まれる迫力がありました。

第1回 日本の演劇を変えた「現代口語演劇」の創造 ~でも最初の評判はさんざん、観客も激減
堀さん:平田さんは伝えることや表現することをお仕事とされていますが、小さい頃からから得意だったのですか。
平田さん:父親もシナリオライターで、自分の夢を完全に僕に託して、僕を作家にしようと思っていたのですね。だから僕は3歳くらいから原稿用紙に何かしら書いていました。5歳くらいになると、買いたいものがあると企画書を書かされてね。「何が・どうして買いたいか、買ったらどうなるか」を文字できちんと書かなきゃいけない。本当にマンガ『巨人の星』のように育てられた。
小坂くん:やはりその経験は今に生きていますか。
平田さん:それは確かに生きています。ただ、音楽とか美術と違って、ものを書く才能というのは子どもの頃は何の役にも立たないわけですよ。幼い天才バイオリニストとか天才画家とかは確かにいて、ピカソなんかも子どもの頃から本当にすごい絵を描いていた。でも、天才小説家ってせいぜい16,17歳からで、それより若くては無理なんです。僕は16歳で世界一周をして、18歳で最初の本(※)を出版したら、「18歳の子が書いた文章にしては素晴らしくしっかりしている」と褒められましたが、「たぶん普通の小説家くらいにはなれるだろうけど、これだけじゃダメだろうな」と思っていました。何かが足りない感じがあって、それで大学に行ったわけです。
※旅行記『十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本』(晩聲社)
最初、僕はノンフィクションを書いていましたが、他人のことがあまりうまく書けないと感じていました。そんな時に演劇に出会いました。演劇にはいろんな登場人物がいるけど、それぞれの役に、自分がちょっとずつ偏在している感じがおもしろくて、何となく自分にはこっちの方が向いているのではないかと思って、それで演劇の方に進みました。
始めてみると、学生演劇としてはけっこうな人気劇団になりました。出身大学のICU(国際基督教大学)は学生が2000人くらいの小さい大学ですが、そこで1000人くらいのお客さんが入っていたので、「俺たちが早稲田だったら、20000人くらいお客が入るかも」なんて無理やりな理屈で自分たちはイケていると思い込んでいた。それで、大学を卒業しても劇団を続けていました。でも、当時(1980年代)は小劇場ブームでしたが、そういう中でそこそこはいけても、やはりこのままじゃダメだな、ということで自分の表現を模索する中で、今の「現代口語演劇」という、いわば「魔球」を編み出したわけです。

従来の戯曲のセリフへの違和感から
小坂くん:平田さんの「現代口語演劇」というのは、日常的な話し言葉や動作で舞台を演出する方法ですが、リアルな会話を追求しようと思ったきっかけには、何かあったのですか。
平田さん:それはいくつかあると思います。一つには本来的な資質として、もともと僕は文学少年で、10代から一人で静かに本を読むのが好きだったから、80年代の小劇場ブームのワイワイした台詞まわしで派手な照明をバンバン使うような演出にはちょっと違和感がありましたね。自分でやっていても、本当にやりたいこととはちょっと違うなという感じがあった。
もう一つは、小劇場ブームの中で他の劇団と差別化を図ることが必要という事情もありました。当時は野田秀樹さんとか鴻上尚史さんとか、若手の優秀な劇作家がそれこそ綺羅星のごとくいたので、他の人がやっていないことをやろう、ということはありました。
そして、もともと日本語にすごく関心があったので、新劇にしても、その後出てきたアングラ劇や小劇場のものにしても、戯曲の台詞の日本語にすごく違和感があって、この違和感はなんだろう、ということを初期の頃からずっと考えていたんですね。それが1984年から85年、僕が22歳から23歳の時、韓国に1年留学して現地で韓国語を学ぶ過程で、日本語というものが僕の中で相対化されたことでだいたい理論づけられました。帰国してからその理論が形になるのに、さらに4,5年かかりましたけど。
堀さん:その時は自分の直感を信じて、いつかは受け入れられると思っていらっしゃったのですか。

平田さん:いや、今でこそ普通に受けとめられていますが、当時はさんざんでしたね。「2組が同時に話すとよくわかりません」とか「後ろを向いてしゃべらないでください」なんてアンケートに書かれましたからね。
86年に大学を卒業して、最初の頃は当時流行の小劇場ぽいことをやっていたのですが、今みたいなスタイルになってからは、最初の1年で、1000人いたお客さんが300人に減ってしまったんですよ。これだけ減ると辛いです。そもそも友達が来なくなりました。「何これ?」「こんなの人に見せて何が面白いの?」と罵詈雑言を浴びました。
それが、89年に『ソウル市民』という作品を書いた瞬間、「ああ、これで僕は日本演劇史に名を遺したな」と思ったんです。劇団員も同様で、稽古場はものすごく活気づいていました。最初の1年ちょっとの間に、何かスタイルが違うと思った人はやめていきましたが、みんないなくなってしまっていたら演劇はできないけど、それは大丈夫でした。稽古場は、とにかく、ものになるかどうかはわからないけど、いけたら相当面白いんじゃないか、という雰囲気になっていました。
小坂さん:そんなに受けがよくなくて、やっていてめげたりすることはなかったんですか。
平田さん:それはなかったですね。むしろ、どちらかと言えば楽しかった。当時は暇だったから、稽古が終わると毎晩飲んでいて、そこに何か青春の錯覚みたいなものもあって、「俺たち、もしかして、すげえんじゃない?!」と。だから新しいものを作る時には、そういう挫折とか屈折も大事じゃないかと思います。
つづく
平田オリザさんの著書

『十六歳のオリザの冒険をしるす本』(講談社文庫)
何故、理由なく旅に出てはいけないのですか?――世界一周自転車旅行を計画した少年オリザは、1979年5月、2年間の休学届を高校に提出し、世界へ向かって旅立った。
原題は『十六歳のオリザの末だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本』(1981年、晩聲社刊)。

『わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)
近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは本当か。企業の求める狭い、従来型のコミュニケーション能力観に振り回されている若者たちへ。
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『演劇入門』(講談社現代新書)
平田さんが公開する「芝居作りの技術」。リアルな台詞とは何か? 戯曲とは? 演出家と俳優の関係とは? 戯曲の構造、演技・演出の方法を平易に解説する画期的演劇入門書!
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『対話のレッスン 日本人のためのコミュニケーション術』(講談社学術文庫)
同じ価値観の仲間とだけ集まり、スマホなどの新しいツールも登場し、文化や世代の違う相手との「対話能力」は極端に貧弱になっていく高校生たち。日本人にいま必要とされているのはまさに「対話」の能力。どうしたら対話は生まれるか。<2015年6月発売>
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プロフィール

平田 オリザさん
1962年生まれ。日本の現代演劇界で最も注目を集める劇作家、演出家。劇団「青年団」主宰、こまばアゴラ劇場芸術監督。代表作に『ソウル市民』、『東京ノート』、『S高原から』など。自然な会話とやりとりで進行する「静かな演劇」の作劇術を「現代口語演劇理論」として理論体系化し、1990年代以降の演劇界に強い影響を与えた。1995年、『東京ノート』で演劇界の芥川賞と呼ばれる第39回岸田國士戯曲賞を受賞。著書に『わかりあえないことから─コミュニケーション能力とは何か
』『演劇入門』(講談社現代新書)、『新しい広場をつくる─市民芸術概論綱要』(白水社)、『対話のレッスン』(小学館)など。
現在、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター客員教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学臨床心理学部客員教授、兵庫県城崎国際アートセンター芸術監督、日本劇作家協会副会長などを務める。合同プロジェクトやワークショップを通じて、フランスをはじめ韓国、北米、オーストラリア、東南アジア、中国など海外との交流も幅広い。
高校2年生の時に休学して、自転車による世界一周旅行を決行。その後高校を退学し、大学入学資格検定試験を経て1982年国際基督教大学に入学、1983年に劇団「青年団」を旗揚げ。1984年から1年間韓国の延世大学に留学した。1986年国際基督教大学教養学部人文科学科卒業。その後父親が自宅を改装してつくったこまばアゴラ劇場の経営者となる。『幕が上がる』(2012年)は平田氏の初の小説。同作は2015年にももいろクローバーZ主演により映画化(2月28日公開)・舞台化(5月1日公開)された。
「オリザ」は本名。ラテン語で「稲」を意味する。
公演情報
16歳で世界一周旅行を敢行した実体験に基づいて書かれた作品『冒険王』と、2002年日韓ワールドカップベスト16の試合の日の両国のバックパッカーを描いた新作『新・冒険王』は、6/5〜7城崎アートセンター・6/12〜29吉祥寺シアターにて公演予定。
http://www.seinendan.org