環境・バイオの最前線

植物病理学

作物を奪う病害と対峙。遺伝子組み換え作物も生む

【BOOK】『入門・たのしい植物学―植物たちが魅せるふしぎな世界』

田中修(ブルーバックス)

電信柱に突如咲いた美しい花々、ガラスビーズで栽培したキノコ、真っ赤な突然変異レンコンなど植物のふしぎな生態を紹介しながら植物学の基礎をたのしく解説。個々の植物の雑学から植物学に触れるという感じの入門書だが、植物病理学に大きな影響を与えた遺伝子組み換えの章も設けられている。

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植物病理学ってどんな学問?

国の命運は政治家でなく、植物病にあり

農作物は、野生の植物に比べ、病気に弱い。農作物は、もともとは野生植物の中から、大きさや味など作物としての性質だけを優先して選抜されているため病気に対する抵抗性が弱く、また、遺伝的に均一な集団であるために、ひとたび病原体に感染するとまたたく間に広がってしまうからだ。中世のペストの流行がヨーロッパの社会を壊滅状態に陥れたように、植物の病気も歴史上、社会を揺るがしてきた。

 

ヨーロッパでは16世紀にコーヒーが持ち込まれ、イギリスでも愛飲されるようになった。ところが、1860年代にイギリスの最大の産地のセイロン島(当時は植民地、現在のスリランカ)で、コーヒーさび病というカビの病気が大発生し、コーヒー園は大きな被害を受けた。そのため、代わりに茶の栽培を始め、それを契機に、紅茶を愛飲するようになったという歴史がある。

 

また、19世紀中頃のアイルランドで起こった、「ジャガイモ飢饉」は、アイルランド史上最大の受難劇として語り継がれている。アイルランドでは南米原産で16世紀に持ち込まれたジャガイモを常食としていたが、1845年から4年間続いたジャガイモ疫病と呼ばれる謎の病気が大流行し、ジャガイモがほとんど全滅してしまった。その結果、100万人以上が餓死し、200万人が飢えから逃れるために新大陸へ渡ったという(その子孫の1人が1961年にアメリカ大統領となったJ.F.ケネディだ)。

 

その後、これがきっかけとなってこの病気の研究がなされ、ドイツ人のA.ドバリーがカビの1種が原因であることを突き止めた。植物病理学はまさにこのとき誕生した。つまり、植物病理学は人々の生活を支えている農作物などの植物を病気から守るための「医療」、すなわち植物の病気の原因を解明し、その予防と治療の方法を研究する学問なのである。

 

病気にならない植物を遺伝子組み換えで作ろう!

理学部の植物学や、農学系の大半を占める作物学や園芸学など、多くの植物系の学問の中で、特に植物病理学は際立った成果を上げてきた。なぜなら、病気のほとんどは病原微生物の感染によって起こるので、植物病理学では微生物との関係で植物を見る。そして病気の感染過程や病変の具合は、分子生物学の精密な実験を組み立てることなどではっきり突き止められる。したがって、正常な植物だけを調べていてもわからないことが、病気の植物と正常な植物を比べるこの学問によって、たくさんわかるのだ。

 

そんな研究の最大の成果が、遺伝子組み換えをめぐる技術の開発であり、それに基づく「バイオという学問」なのだ。植物への遺伝子導入(形質転換植物の作出)も、ウイルス病に対する抵抗性をつけるために始まった。植物病理学者たちの学会での発表も、最近では約半数は遺伝子やタンパク質などに関わるバイオの最先端のテーマになっている。また、遺伝子レベルで病気が起こるしくみがわかったことで、遺伝子を組み換え、病気に強い植物を作ることができるようになり、病虫害に対する農薬を使わない農業も可能になってきた。そんな作物開発はビジネスにもつながり、バイオの産業化にも一役買っている。この事業が進んでいる欧米では、植物病理学の研究に莫大な投資をする企業も出てきたほどだ。

 

作物病害の克服で何億人をも飢餓から救う

さらに、植物病理学は21世紀の食料問題解決のカギを握る。現在、世界の農産物の収穫の少なくとも1割は、病気のために失われている。ひとたび異常気象が起きれば、やっかいな病気が発生して大きな被害が出る。日本でも、1993年の冷害でイネいもち病が大発生して、米が国内で確保できなかったことがある。この事件は現代の日本でも食糧不足が簡単に起こりうることを示した。

 

歴史をさかのぼると天保4年(1784年)の大飢饉は冷害によるものだったが、人々は飢え、牛馬、ニワトリ、犬を殺して食い、雑草、樹皮を食い、人肉さえ食ったと古い文献にある。しかし1993年の冷害のときは、水稲生育予測モデルと冷害の警戒予報がすでに準備されていたおかげで、的確に農薬の散布をし、被害を最小限に食い止めることができた。それでも、この年輸入米に頼らなければならないほど被害を出したが、昔の飢饉並みの悲惨さを招かなくてすんだのは、植物病理学の地道な研究の積み重ねのおかげだったといわれる。イネいもち病研究が、なんといっても日本の植物病理学研究の原点とわれるゆえんはここにあるのだ。

 

地球全体でみると、アフリカを中心として、アジアやラテンアメリカでは約8億人が今も食糧危機にさらされている。これらの地域では、とりわけ作物の病気による被害が大きい。2050年には、現在の70億人から90億人以上に増加するとされる世界の人口を支えるだけの食糧も確実に足りなくなる。植物病害を防ぎ、バイオの最前線を切り拓く植物病理学の使命は、今なお、決してあせることはないのだ。

 

【展望】
学問的活性度 ★★★★★
社会的要請度 ★★★★☆

まだまだ広がる学問の世界

興味がわいたら!BookGuide

植物と病気

大木理 (東京化学同人)

バイオテクノロジーと植物病理学の先端が読みやすくまとめられた、知の香りが感じられる入門書。筆者はウイルス分類の日本の第一人者。ウイルスの不思議な魅力とともに、この学問の全体像が丁寧に解説されている。

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新植物をつくりだす

岡田吉美(岩波ジュニア新書)

遺伝子組み換え作物は、安全性など問題点ばかり騒がれるが、遺伝子組み換えの可能性を語り、正しい理解を促そうとする。ノーベル賞級の成果といわれるRNAの遺伝子組み換え技術を開いた岡田吉美先生が、高校生に植物バイオの真髄を伝える。

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写真で見つける病害虫対策ブック―草花・洋ランから花木・果樹まで(生活実用シリーズ)

草間祐輔(NHK出版)

写真でカビなどの症状が示してあるので、どんな病気が特定でき、その原因となる病害虫と対策がわかる実用書。

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ジャガイモの世界史―歴史を動かした「貧者のパン」

伊藤章治(中公新書)

南米生まれのジャガイモはインカ帝国滅亡の頃、スペインに渡り、わずか500年の間に全世界に広がった。痩せた土地でも育ち、栄養価の高いジャガイモは「貧者のパン」として大きな役割を演じた。植物病理学という学問誕生のきっかけになったアイルランドの大飢饉にも触れ、ジャガイモと人びとをめぐるドラマが描かれている。

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ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争

山本紀夫(岩波新書)

栽培面積で世界の全作物中、4位。南米で栽培種として誕生後、どのように世界中に広がったか。筆者は国立民俗学博物館名誉教授。アンデスの農耕文化を中心に40年間、ヒマラヤ、ヨーロッパ、日本の調査を続けてきた農学博士が、ジャガイモと人間のかかわりに秘められた歴史ドラマをつづる。

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はじめての植物学: 植物たちの生き残り戦略

大場秀章(ちくまプリマー新書)

著者は植物学博士。小学校で習った柿の種をカミソリで縦割りして胚を観察するとか、身近な植物の観察を勧める。植物のからだの基本的なつくりや営みを知ると、その巧みな改造の仕方の実際が見える。植物への愛しみが読者に伝わってくる。植物とは何かを考える。植物病理学を学ぶ前に知っておきたい。植物の基礎的な仕組みが見えてくる魅惑の一冊である。

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植物病理学の研究者

植物病理学を学べる大学