長年の杉原研究から、さらに明らかになった杉原千畝の姿

ソ連、ナチス・ドイツから6000人のユダヤ人を救ったヒューマニストは、情報収集に長けた優れた外交官だった!

~オーサービジット 特別企画

『杉原千畝―情報に賭けた外交官―』を読む

外務省外交史料館 白石仁章さん × 東京学芸大学附属高校生

 

『杉原千畝―情報に賭けた外交官―』

白石仁章(新潮文庫刊)

杉原千畝氏(1900~1986)は日本の外交官。第二次世界大戦中、リトアニアの在カウナス日本領事館領事代理として赴任していた1940年7月から8月にかけて、ポーランドなど欧州各地から逃れてきた避難民たちに、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救いました。その避難民の多くがユダヤ人でした。杉原さんについては、ヒューマニストとしての側面に注目が集まっていましたが、この作品では、著者の白石氏が膨大な外交文書から、世界情報を読み解き、綱渡りのような駆け引きに挑んだ「情報のプロフェッショナル」としての素顔を解き明かします。

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『杉原千畝―情報に賭けた外交官―』を原作とした映画

『杉原千畝 スギハラチウネ』

(2015年 東宝/DVD・Blu-ray ポニーキャニオン)

監督:チェリン・グラック

脚本:鎌田哲郎、松尾浩道

出演:唐沢寿明(杉原千畝)、小雪(杉原幸子) ほか

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第二次世界大戦直前のヨーロッパで、「命のビザ」を発給して6000人のユダヤ難民を救った杉原千畝(ちうね)氏。偉大なヒューマニストとして知られる彼は、「本業」の外交官としても卓越した能力の持ち主でした。もし、当時の日本が彼の報告にきちんと耳を傾けていたら、歴史は違ったものになっていたかもしれない…。杉原千畝研究の第一人者の白石仁章氏(外務省外交史料館)が、高校生と語ります。

第1回 杉原千畝にほれ込み26年。杉原研究にかける著者・白石仁章さんの思い

私は杉原千畝さんのことを、平成2年に杉原さんの奥様、幸子さんが書かれた『六千人の命のビザ』(杉原幸子著/大正出版)という本を読んで、外務省にこんなすごい先輩がいたのだと初めて知りました。それ以来、26年にわたって研究を続けてきましたが、なぜこんなに長い年月にわたり研究することができたのかといえば、とにかくこのすばらしい人物のことを少しでも知りたい、そして世の中に伝えたいと思ったからです。今日は杉原さんという方が、あの第二次世界大戦が始まり、日本が対応を迫られた難しい時代にどれだけ偉大なことをされたのかについてお話しします。

杉原千畝との出会い~偶然のきっかけから外務省に入った先輩として

杉原さんと私は外務省の先輩と後輩という間柄ですが、もう一つ共通点があります。それは、杉原さんも私も積極的に外務省員になりたかったわけではないということです。杉原さんは、本当は英語の先生になりたかったけれど、お父さんに大反対されて、様々な偶然から外務省の留学生になりました。

 

実は私も教員志望でした。歴史を学ぶことが好きでしたから、大学は文学部史学科に進みました。私にはぜひ解き明かしたい、自分が納得できる答えを探したいテーマがあります。それは「日本がなぜ太平洋戦争という無謀な戦争に突入してしまったのか」ということですが、いまだにはっきりした答えが見つかりません。大学4年間の勉強を終えた時、このテーマに対する答えを見つけられないまま教壇に立つなどということは、生徒に対して失礼だ、「お前にはまだ教壇に立つ資格がない」と思い、大学院に進みましたが、太平洋戦争どころか、満洲事変あたりの研究でうろうろしている状態でした。

 

そんな時に、お世話になっていた教授の一人から「外務省の外交史料館というところでアルバイトをを探しているからやってみないか」と言われ、それなら働きながら勉強できると思いました。最初はアルバイトとして働き始めた外交史料館でしたが、翌年運よく正規職員に採用され、気が付くともう28年間も外交史料館で働いているわけです。そういう中で杉原千畝さんという人物に出会い、惚れこんでしまいました。お給料をいただきながら、歴史の勉強が続けられ、先ほどお話した「日本がなぜ太平洋戦争という無謀な戦争に突入してしまったのか」というテーマを研究していく上で、非常に重要な人物を知ることができたわけですから、私はたいへん幸運な人間だと思っています。

 

善意だけでは解決できない。事実を知って向き合うことの大切さ

私は、『戦争と諜報外交 杉原千畝たちの時代』 (角川選書)という本も書いています。杉原さん以外にも、日本外交を太平洋戦争とは違う方向に導こうとして努力した立派な外交官が何人もいた、ということを知らせたくて、この本を書きました。

 

こういう人たちの努力があったにもかかわらず、日本はなぜ戦争に突き進んでしまったのか。この本を書き上げてますます深みにはまってしまったような気がします。皆さんの中には「過去は過去。変えることはできないのに、なぜそんなにしつこく研究史続けているのだろうか」と疑問に思う人もいるでしょうね。確かに過去を変えることはできません。しかし、歴史を学ぶことは、同じような過ちを繰り返させないという意味で、未来を正しい方向に導くために役立つと私は信じています。

 

ところで、杉原さんは、大勢のユダヤ人を救ったヒューマニストとしての部分がどうしても強調されがちです。しかし、ここで皆さんにお伝えしたいことは、どんなに崇高な良心を持っていても、それだけでは物事を良い方向に導けないこともあるということです。

 

こんな経験があります。今から15年ほど前のことですが、イスラエルがパレスチナの自治区であるガザに侵攻したことが国際社会に大きな衝撃を与えていました。私は1999年にイスラエルへ出張した際にガザも訪れ、難民キャンプの子どもたちと握手もしています。あの子どもたちはどうしているのだろう、と心配な気持ちを強く持っていました。

 

そんなある日、渋谷を歩いていますと、イスラエルのパレスチナ侵攻に反対するための署名活動をしていたので、熱心に署名を訴える若い女性と話してみました。「私はガザに行ったことがあるのですよ」と言うと、彼女はキョトンとして「ガザって何ですか?」と言ったのです。ちょっとびっくりしました。彼女は、非常に良心的な人だと思います。しかし、「戦争が起こっている。大勢の人が大変なことになっている。だからとりあえず署名活動をする」。そういった正義感にあふれていたのでしょう。でも、はたしてそれだけでいいのでしょうか。署名活動をするのであれば、事件の背景や原因をきちんと説明できなかったら、多くの人の署名は集められないと思うのです。

 

善意、良心、正義感といったものは非常にすばらしいものだと私も信じています。しかし、皆さんに覚えておいていただきたいことは、あのヒトラーは決してクーデターなどで政権についたわけではなく、公正な選挙によってドイツのリーダーに選ばれました。ドイツの人々は、ヒトラーならドイツを救ってくれると信じてしまったのです。善意、良心、正義感などは、正しい知識と結びついてこそ真価を発揮するということを忘れないでください。そのよき手本こそ杉原さんではないかと私は信じていますし、本を通じて多くの人々に伝えていきたいと思っています。

 

興味がわいたら

『杉原千畝―情報に賭けた外交官―』

白石仁章(新潮文庫刊)

杉原千畝氏(1900~1986)は日本の外交官。第二次世界大戦中、リトアニアの在カウナス日本領事館領事代理として赴任していた1940年7月から8月にかけて、ポーランドなど欧州各地から逃れてきた避難民たちに、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救いました。その避難民の多くがユダヤ人でした。杉原さんについては、ヒューマニストとしての側面に注目が集まっていましたが、この作品では、著者の白石氏が膨大な外交文書から、世界情報を読み解き、綱渡りのような駆け引きに挑んだ「情報のプロフェッショナル」としての素顔を解き明かします。

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白石仁章さんの本

『戦争と諜報外交 杉原千畝たちの時代』

白石仁章(角川選書)

「杉原さん以外にも、日本外交を太平洋戦争とは違う方向に導こうとして努力した立派な外交官が何人もいた、ということを知らせたくて、この本を書きました」。日独伊三国同盟の締結を危惧する電報を送り続けた来栖三郎ほか、日本が大戦へと向かう中、外交交渉の最前線で闘った外交官たちを、外務省に眠る4万冊の記録ファイルから、白石氏が描き出します。

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『六千人の命のビザ』杉原幸子(大正出版)

杉原千畝夫人・幸子さんが、リトアニア・カウナス時代だけではなく、戦後、助けられたユダヤ人との再会や、イスラエルからの顕彰などをまとめています。

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『杉原千畝―情報に賭けた外交官―』を原作とした映画

『杉原千畝 スギハラチウネ』

(2015年 東宝/DVD・Blu-ray ポニーキャニオン)

監督:チェリン・グラック

脚本:鎌田哲郎、松尾浩道

出演:唐沢寿明(杉原千畝)、小雪(杉原幸子) ほか

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