長年の杉原研究から、さらに明らかになった杉原千畝の姿

ソ連、ナチス・ドイツから6000人のユダヤ人を救ったヒューマニストは、情報収集に長けた優れた外交官だった!

~オーサービジット 特別企画

『杉原千畝―情報に賭けた外交官―』を読む

外務省外交史料館 白石仁章さん × 東京学芸大学附属高校生

 

第8回 なぜ日本は杉原さんの貴重な情報を活かせなかったのか<東京学芸大学附属高校生のみなさんとの対話>

ワタナベさん:杉原さんが集めた情報を日本に送ったのに、日本の政府には危機感が伝わらなかったのですよね。本の中でも、今のようにメディアが発達していないから、と書いてありましたが、どうしてそんなことになってしまったのでしょうか。

 

白石さん:例えば、先ほどのソ連によるリトアニア併合のようなことがあれば、今なら各種のマスコミが駆けつけ、映像がどんどん送られてきて、日本にいてもかなり詳しく状況がわかりますよね。「日本領事館の周りを大勢のユダヤ人が取り囲んで、口々に何かを叫んでいます!」などというナレーションとともに映像が送られてくれば、これはたいへんなことになっていると容易にわかりますけれど、当時は電報だけで伝えていました。しかも電報というのは他の国に傍受される可能性があるので、必要最小限のことしか書けません。その点、杉原さんの独ソ開戦に関する情報の電報は、簡潔にして要点だけはきちっと書いてあって、優れた電報のお手本と言っても過言ではないと思います。しかし、それゆえに受け取る側に危機感が伝わりにくかったというのも、一面の事実です。

 

それから、当時の外務大臣であった松岡洋右は、ある程度危機感を認識していたのではないかというふしもあります。と言うのは、彼は独ソが開戦したと聞いて、その日のうちに天皇のところに行って「ソ連に攻め込みましょう」と訴えました。ところが天皇は、その年(1941年)の4月に日ソ中立条約を結んだばかりのソ連に攻め込めと言う松岡に非常に驚いて、「お前は近衛文麿総理大臣とまず相談したのか!」と追い返したのです。

 

杉原さんが送った情報を十分活用すればよかったのに、と思うのですが、日本の駐ドイツ大使や駐ソ連大使からの報告にはそういう兆候が見えない。そうすると、ランクから言えば大使の方が偉いので、どうしても杉原さんの情報は軽く見られた可能性も否定できません。いずれにしても、有事に重要な情報を活かせなかったというのは、当時の日本の大きな欠点だったと私は思います。

 

 

タカハシくん:千畝さんはプラハでもビザを発給していたということですが、カウナスでビザを受け取ったユダヤ人はシベリア鉄道を使って日本へ行きましたが、プラハからはどのようにして日本に向かったのでしょうか。

 

白石さん:先ほどお話ししたストウシンガー教授の例で言いますと、彼らは最初に中国の外交官から上海へ行くビザを手に入れました。ところが、それを持ってモスクワまで行ったところ、ソ連領内からいきなり上海には行けないので、ソ連当局としては日本の通過ビザを手に入れなければソ連国内を通過するビザは出せないと言ったわけです。それでプラハに戻ったところ、「今度来た日本の総領事はすごく優しい人でユダヤ人にもビザを出してくれるらしい」という噂が流れてきたので、日本総領事館に大急ぎで駆け込んだ、ということでした。当時、プラハから海路はほとんど不可能でしたので、日本に来るにはシベリア鉄道を利用するルートしかなかったわけです。

 

外務省と杉原さんの和解は遅すぎたのか

イズミさん:映画の最後に、2000年に外務省が公式に杉原さんを認めたというのがあったと思うのですが、遅すぎないかなと思いました。

 

白石さん:まず、2000年というのが杉原さんの生誕100周年だったので、ちょうどいいタイミングだったということがありました。実はそれより約10年前に、『六千人の命のビザ』が出て、世の中が杉原さんに注目するようになったのですが、その直後にバルト三国のソ連からの独立がありました。その時、当時の政務次官が杉原さんのご家族を外務省のゲストハウスにお呼びして、「今まで意思疎通を欠いていて申し訳なかった」と挨拶する、という形で関係修復を図っています。そして、外務省の中にもきちんと顕彰するプレートを作ろう、展示コーナーも作ろうということになって、2000年10月10日に除幕式が行われたわけです。その時は、当時の河野洋平外務大臣も臨席して、奥様の杉原幸子さんもご存命で、お二人に除幕をしていただきました。私は、展示コーナーを作る作業にも関わりましたので、あの除幕式は忘れられない思い出の一つです。

 

確かに遅すぎると言われれば、そのとおりなのですが、杉原さんに世間が注目し始めたのは、1991年にバルト三国が再度の独立を果たした頃からです。そして、歴史上の人物の評価は軽々しくできない面があります。昨日まで英雄のように讃えられた人物が、今日には悪人扱いになるようなこともあります。杉原さんほどの素晴らしい方でも、評価が落ち着くまでにはある程度の時間がかかりますし、その上で顕彰していくには、良いタイミングも必要となります。その意味では、生誕百周年というのは非常に良いタイミングだったのではないかと思います。

 

インテリジェンス・オフィサーとしてもとても優秀だと知り感動

<生徒代表挨拶>

タカハシくん:本日はお忙しい本校に来ていただきありがとうございました。私は小学校の時モスクワに住んでいましたが、その時杉原千畝さんに出会いました。日本人学校の中学生が、リトアニアに修学旅行に行って、その後で杉原千畝さんを題材にした劇を学習発表会で上演したのです。それを見て千畝さんに惹かれて、自分で偉人の本を読んでどんどん心酔していって、実際に岐阜や敦賀、去年はリトアニアにも行きました。杉原千畝さんの人間性が本当に素晴らしいとは感じてきたのですが、白石さんの本を読んで、インテリジェンス・オフィサーとしてもとても優秀だったということがわかりました。そんな別の見方があるなんて僕にはわからなかったので、すごく感動しました。今日は本当にありがとうございました。

 

おわり

興味がわいたら

『杉原千畝―情報に賭けた外交官―』

白石仁章(新潮文庫刊)

杉原千畝氏(1900~1986)は日本の外交官。第二次世界大戦中、リトアニアの在カウナス日本領事館領事代理として赴任していた1940年7月から8月にかけて、ポーランドなど欧州各地から逃れてきた避難民たちに、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救いました。その避難民の多くがユダヤ人でした。杉原さんについては、ヒューマニストとしての側面に注目が集まっていましたが、この作品では、著者の白石氏が膨大な外交文書から、世界情報を読み解き、綱渡りのような駆け引きに挑んだ「情報のプロフェッショナル」としての素顔を解き明かします。

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白石仁章さんの本

『戦争と諜報外交 杉原千畝たちの時代』

白石仁章(角川選書)

「杉原さん以外にも、日本外交を太平洋戦争とは違う方向に導こうとして努力した立派な外交官が何人もいた、ということを知らせたくて、この本を書きました」。日独伊三国同盟の締結を危惧する電報を送り続けた来栖三郎ほか、日本が大戦へと向かう中、外交交渉の最前線で闘った外交官たちを、外務省に眠る4万冊の記録ファイルから、白石氏が描き出します。

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『六千人の命のビザ』杉原幸子(大正出版)

杉原千畝夫人・幸子さんが、リトアニア・カウナス時代だけではなく、戦後、助けられたユダヤ人との再会や、イスラエルからの顕彰などをまとめています。

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『杉原千畝―情報に賭けた外交官―』を原作とした映画

『杉原千畝 スギハラチウネ』

(2015年 東宝/DVD・Blu-ray ポニーキャニオン)

監督:チェリン・グラック

脚本:鎌田哲郎、松尾浩道

出演:唐沢寿明(杉原千畝)、小雪(杉原幸子) ほか

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