学問本オーサービジット(筑波大学協力)
インターネット空間での表現の自由には規制が必要なのか
~『現代社会と憲法学』を読んで
憲法学・情報法・辻雄一郎先生+富士見高等学校有志5人

●オーサー 辻雄一郎先生
筑波大学 社会・国際学群 社会学類 法学主専攻/人文社会科学研究科 国際地域研究専攻
●参加者 東京・富士見高等学校有志5人
●実施 2017年2月9日

『現代社会と憲法学』
佐々木弘通、宍戸常寿編著(弘文堂)
「ヘイトスピーチ」「復興問題」「財政赤字」「立憲主義」「安保法制」の、現代の抱える社会問題に、憲法的アプローチから17人の研究者が考察。辻先生は「2.インターネット」を執筆しています。インターネットをめぐる憲法、法律問題を扱います。法律学は決してこじつけ、屁理屈ではなく日常生活に密着している学問です。
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◆先生の研究分野である、公法学の中でも特に、情報法について簡単にご説明ください。
情報法は決して目新しい学問ではない
インターネットやスマホ、携帯は、すさまじいスピードで進化しています。このような発達によって、新たな法制度を組み直すべきでしょうか。
情報が自由に流通していることは私たちの生活に大事なことです。自由に流通している情報の中で、私たちは情報の真偽を定め、自分の価値を探り、人生の意味を問うのです。日本国憲法21条は、自由な情報流通を保障しています。もちろん他人の名誉やプライバシーを侵害するような情報は一定の責任を負うべきです。
携帯のモバゲー、ドラゴンクエストのすれ違い通信、ネットゲーム、Mixi、Facebook、Twitterなど新しい情報流通の技術の進歩は私たちを将来、きらびやかな世界に誘ってくれそうです。しかし、情報流通の発展は今に限ったことではありません。きらびやかさに目を奪われると、原理論への問いかけや規範定立がおろそかになってしまいます。私たちは、「なぜ自由な情報流通が保障されなければならないのか?」「どうして表現の自由が尊重されなければならないのか?」をまず問うべきなのです。
自由な情報流通の手段が加速度的に多様化している現代、制度そのものが変動期にある今、新しい法制度の肖像を描くには、制度が守るべき権利を十分に議論したうえで学習能力のある柔軟な設計図が必要となるでしょう。守られるべき表現の自由、通信の自由とは何か。その問いかけが将来の情報流通の規制構造と望ましい制度を決定するのです。これが情報法です。
情報流通に限らず、社会は常に大きな変動を経験してきました。馬車から自動車、ライト兄弟の飛行機からジェット機へ、大量生産できる機械が登場し、社会の変動に応じて法制度も見直され、修正したり、老朽化したものは廃棄されたりしてきました。
現在、サイバースペースの登場によって、伝統的な法学は従来の法理論を廃棄して新しいルールが必要か、それとも修正が必要か、という争点を浮上させています。変転するネットの世界では熟練した法律家でさえ、正反対の答えを出す可能性もあります。そもそも現実世界とインターネットを分離することなど不可能なのかもしれません。携帯電話のように現実世界でも常にネットの恩恵を受けています。新しいものを見て、既存の法制度を見直す。情報法は目新しい流行を追いかける学問ではありません。
ヘイトスピーチは名誉棄損にあたるのか。いじめ問題にも言及

◆オーサーはどのような話をしましたか。
インターネットと法の関わりについて話しました。インターネットという表現の自由の象徴のような空間をいかに法律で整備するのかといったことです。表現の自由と対立してくる名誉毀損についての議論が白熱しました。どこまでが表現の自由なのか、どこからが名誉毀損なのか、そのラインは複雑でしたが、法律では一つ一つ定められているということです。
一体今までどれほどの人々が、法律を作るためにどれほど議論を重ねたのでしょう。すべての問題に正しい答えなどないからこそ、辻先生が説明された民主主義の在り方のように、全員で話し合って「答え」を決めなければなりません。
話が進むにつれて議論は深まっていきまし。法は何のためにあるのか、民主主義とは何か、なぜ人は法を作るのか、など徐々にその核心に迫っていきました。結論としては、法は人を守るためにあり、人は自分が弱者の立場に陥った時、助けてもらえるよう、自分のためにルールを作る、とのことででした。
また、話の中で重要視されていたことは「定義」です。例えば、何をすること・されることをいじめとよぶのか、などの言葉の捉え方です。今まで当たり前だと思っていた概念に疑問をぶつけられ、考えはより深まったと思います。
◆とくに丁寧に説明があったのは、どのような内容でしたか。
ヘイトスピーチは、名誉棄損にあたるのかといったことと、いじめについて詳しく話しました。ヘイトスピーチに関しては、はじめに、名誉棄損が成立する要件について説明がありました。名誉とは人の社会的評価のことであること、そして、名誉棄損とは特定の個人の社会的評価を下げてしまう行為である。名誉棄損に当たれば、刑法230条で罰することができるが、ヘイトスピーチは特定の個人に対しておこなったのではないので、名誉棄損でないということでした。公然と人を侮辱した者を罰する「侮辱罪」についても学びました。
いじめについては、いじめの定義、またその定義がなぜ必要なのか、そしていじめがあった場合その責任はだれがとるのか、ということを漫画『聲の形』を通して考えました。
◆どのようなことをディスカッションしましたか。
「私たちは知識も政治に対する関心も大人に匹敵するぐらい持っている。なぜ私たちには投票する権利が与えられないのか?」という質問に対して、辻先生は、「10年後って想像できる?」と言いました。「選挙権を持つということは同時に責任を負うことである。将来に何が起こっても受け入れなければならない。つまり覚悟と責任が必要だ」と。これに対して「でも今の大人が責任を負えているとは思わない」との反論もありました。議論に結論はないが、一つはっきりしたことは、「権利を主張することと義務を負うことは同等である」ということです。数年後18歳になったとき、私たちははたしてそれを負いきれるだろうか。ディスカッションは続きました。
自由や権利が与えらたら、十分な覚悟と責任を持つ
<学問本オーサービジットに参加して>
◆オーサーの話では、どんな内容が印象に残っていますか。
◆いじめの定義について、一つ一つにメリットとデメリットがあり、どれが正しいのかについて話したことです。私は、いじめの定義があっても、人はそれぞれなので、定義があいまいになってしまうのではと疑問を持ちました。
また、何事にも自由や権利が与えられているが、その責任を一生背負って生きていかなければいけないという話を聞いた時に、もっと選挙や政治などについて深く知ろうと思いました。(榎本さん 1年)
◆18歳選挙の話題では、16歳の私たちはなぜ選挙権を持つことが許されないのか、むしろ私たちの方が政治に関心や知識が(大人に比べて)あると思うのになぜ投票できないのか、という意見が飛び出しました。その意見に対して、辻先生は、驚きの表情を見せながら「本当にそう思う? 投票して、自分たちの将来何が起こっても受け入れられる? たとえホームレスになったとしても、責任持てる?」とおっしゃいました。そのとき、ただ知識や関心があるだけではいけないのだ、きちんと十分な覚悟と責任を持つことが最も重要であるということを気づかされました。(磯野さん 1年)
◆「なぜジャーナリズムの地位が低下してしまっているのか」という話が印象に残っています。昔はお金と時間があって取材力がありましたが、今は、SNSが発達していて、プロでなくても多くの人にいろいろなことをすぐに発信できるから必要がなくなったとのことでした。私も含め、テレビでニュースを見るより、SNSで様々な人の意見や噂、ニュースを見ることの方が楽しいから、あまりニュースに必要性を感じなくなってきたのだと思います。(近藤さん 1年)

◆オーサーの話から、どんなこと考えましたか。
◆いじめをなくすためには規制が必要だと思いましたが、規制に頼るのではなく、自分たちの力でいじめの問題を解決することが大切だと考えました。そのいじめを解決するためにも、学校や親や友人はどうするべきなのか、どうすればよいのかを考えるようになりました。
ネットは自由で気軽に利用することができますが、一度間違えてしまうと取り返しのつかないものにもなってしまいます。これから先、より多くの人がネットを使うのでどうすれば問題を少なくすることができるのかと考えました。(榎本さん 1年)
◆このオーサービジットに参加する前は、いじめは他人を傷つける行為でやってはいけないこと、名誉棄損は、他人の名誉(社会的評価)を傷つけること、表現の自由は全員に保障されているもの、というように、なんとなくはわかるが、とてもあやふやでざっくりとしか理解していませんでした。オーサービジットでは、原理論に問いかけ、定義はどこからどこまでかなど話し合い、理解を深めることができました。(磯野さん 1年)
◆ネットのことがメインでしたが、それだけではなくたくさんのことが学べました。学校の授業では、ざっくりしかやらない憲法について興味を持てました。疑問に思ったのは、憲法を初めて作ったときにどのような話し合いがあり、どのようにして決めているのかということです。どのようなものにもたくさんの解釈の仕方がありますが、憲法では、あまり多くの解釈ができないようにしなくてはいけないのか思い、気になりました。(安松さん 1年)
◆今回のオーサービジットで何より思ったことは、考えること、話し合うことが大切だということです。簡単に思えるかもしれませんが、日常生活で本当に「議論を深める」機会がどれほど少ないか。それを知る貴重な機会でした。(田中さん 1年)

興味がわいたら

『自信をもっていじめにNOと言うための本 (憲法から考える)』
中富公一(日本評論社)
「いじめ」がなぜ許されないのか、そして周囲はいつ介入すべきかについて、極めて詳細に検討しています。高校生や中学生でも、法的なものの考え方を理解できるようにわかりやすく記述されています。
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映画『スターウォーズ エピソード3』
共和国が帝国に変貌する際の意思決定の過程は、古典的なものです。「自由は万雷の拍手の中で死ぬ」という言葉が非常に印象的でした。国家防衛のためのクローン部隊が帝国圧政の象徴へと変貌するのです。
映画『誰も知らない』
母子家庭で母親に見捨てられた長男が弟妹の面倒を見る。友人が援助交際で得たお金で彼らを助けようとする。生活保護、子どもの貧困が描かれています。
映画『シン・ゴジラ』
ゴジラは生物であり、外国「国家」ではなく、したがって、ゴジラに対しては、集団的自衛権を使う際の前提である「存立危機事態」には該当しません。災害時には自衛隊は武力の行使は許されません。映画では、憲法や関連する法律が運用される姿、内閣の意思決定の姿を描いています。