学問本オーサービジット(大阪大学協力)

当たり前を疑い、まだ見ぬ世界を見ようとするのが学問

『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』

科学技術社会論 中村征樹先生

●オーサー 中村征樹先生

  大阪大学 文学部 人文学科/文学研究科 文化形態論専攻

●実施 2017年12月18日 兵庫県の高校にて(図書委員4人参加)

 

『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』

大阪大学ショセキカプロジェクト 編(大阪大学出版会)

大阪大学が擁する幅広い研究分野を魅力的に紹介し、学問の懐の深さと考える愉しみを伝える出版&新しいスタイルの教育プロジェクト「ショセキカ」。「ドーナツを穴だけ残して食べる方法とは?」という学生たちの素朴な問いに、文理を問わず多彩な研究分野の大阪大学教員たちが挑む。常識を疑い、当たり前を覆すのが学問の醍醐味。ドーナツの穴から広がる奥深い知の世界にふみこんだアカデミックでユニークな回答に乞うご期待。

[amazonへ] 


◆先生のご専門の「科学技術社会論」とは、どのような学問でしょうか。

 

科学技術とどうつきあっていくか

 

現在、科学技術は私たちの日常生活の中に深く入り込んでいます。手元のスマホを使って、放課後に友達とSNSでやりとりをする。いまではあたりまえのそんな風景も、一昔前には考えられないことでした。スマホもSNSも、さらにはインターネットもない世界を想像してみてください。先端科学技術の発展によって、私たちの生活は格段に便利になってきました。しかし同時に、SNSを利用したいじめや犯罪、スマホ依存症とも呼ばれる問題が広がっています。また、AIが進むことで、いまある多くの仕事がなくなってしまうのではないかということも言われています。科学技術とどう付き合っていくのかは、理系・文系を問わず、だれもが考えなければならない問題になっています。

 

私が取り組んでいる科学技術社会論という学問は、そんな科学技術をめぐる問題について、社会学・歴史学や倫理学などいろいろな方向から検討していこうという、比較的新しい学問分野です。私自身はとくに、科学技術は社会のなかでいかに発展してきたのか(科学史)、研究者たちは研究を進めていく上でどのような倫理的問題を考える必要があるのか(研究倫理)、そして専門家ではない一般の人たちと科学者たちをどのように結びつけるのか(科学コミュニケーション)という3つの観点から研究を行ってきました。

 

科学者と市民を「つなげる」学問「科学コミュニケーション」

 

科学コミュニケーションと科学技術史はちょっと違った学問なので、それぞれについて説明します。

 

「科学コミュニケーション」は、科学者・専門家と市民を「つなげる」学問分野です。科学ではいまどんなことがわかっているのか、科学者はどんなことを考えているのかを一般の人たちに伝えるだけでなく、逆に市民の不安や期待を科学者に伝えることも科学コミュニケーションの重要な役割です。科学者と市民が対話する場を実際に作ったり、生活に密着した科学の問題を市民が議論する場を設計し運営したりすることもあります。現代社会の多くの問題は、科学を抜きにしては考えられません。そういった問題について、科学者と市民が一緒になって考えていけるような社会を作ろうとしています。

 

「科学技術史」は文字通り、科学技術の歴史を研究する学問分野です。「将来、科学者になりたい」と考えている人もいるかもしれませんが、「科学者」が職業として成立するようになったのは実はこの200年くらいのことです。化学の基礎を築いたラヴォワジェは、平日の日中は仕事なので、朝とか家に帰ってきてから科学研究を行っていました。週末は一日中研究に没頭できるのが幸せだと言っていました。科学者が職業になることは、科学のあり方を大きく変えました。また、scientistという言葉が登場したのは19世紀半ばですが、そこにはややネガティブな意味合いが込められていました。歴史的な観点から眺めてみることで、現代の科学技術をちょっとちがった視点でみつめてみる。科学技術史はそんな学問分野です。 

 

◆『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』という本が生まれた経緯がユニークですね。

 

ほかの学部の人たちと何かを作り上げる

 

大阪大学では、大学生たちが自分の専門分野以外について学ぶ一般教養(共通教育)の仕組みづくりにも取り組んでいます。大学で学んだ専門知識を社会のなかで活かしていくためには、専門知識について学ぶだけでなく、専門も年齢も国籍も違う人たちと話し合ったり協力していくことが必要です。専門外のことについて学んだり、ほかの学部の学生たちと一緒になにかを作り上げていく。そのような新しいタイプの授業をこれまでいくつも手掛けてきました。その一つの授業の成果が、今回取り上げた『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』という本です。

 

大阪大学で行われている最先端の学問を、高校生たちや一般の人たちに魅力的に伝えるような本をつくる。学生たちが中心になって、本の内容を企画し、原稿の執筆を先生たちに依頼し、インタビューを行い、本のデザインを考え、宣伝も行っていく。そんな授業を、親しい先生と大学出版会の人たちと協力して実施しました。授業で学生たちはいろいろなアイディアを出し合い、企画をまとめ、授業内で行ったコンペでプレゼンを行いました。その中でもっともすぐれた企画として選ばれたのが、『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』でした。

 

学問に正解はない

 

「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」という、一見、バカげた問題に、大阪大学の研究者たちが真剣に取り組んだらどうなるのか。ドーナツを穴だけ残してぎりぎりまで削ろうとしたり、記憶としてのドーナツの穴について考えてみたり。ドーナツを穴だけ残して食べるという難問(?)を前に格闘する研究者たちの姿が、みごとに描かれた本になっているんじゃないかと思います。

 

大学で行われている学問に、正解はありません。誰もが当たり前だと思っていることを疑い、まだ誰も見たことのない世界を見ようとするのが学問です。『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』は、教科書に書かれているのとは違った最前線の学問の姿を、大学の外にいる人たちに伝えようとするものです。そして、学生たちが中心になった本づくりのプロジェクトは、はからずも私自身が専門とする科学コミュニケーションの実践ともなりました。 

 

◆オーサービジットで、どのような生徒からの質問がありましたか。

 

「研究してきた中で一番印象に残っていることは何ですか」という質問です。次のように答えました。

 

印象に残っているのは、研究を通して、いままで別々の事象だと思っていたことのあいだにつながりを見出すことができ、点と点であったものが線になったときです。もともとは200年以上前のフランス革命のころに、技術者や職人たちがどのように技術を習得しようとしていたかについて研究していました。それまでは実地での経験を通して学んでいたのが、学校のような教育機関で体系的に知識や技能を習得する仕組みが登場したのがその時代のフランスでした。その過程について、当時の手書きの内部文書なども読みながら研究していたのですが、そういう地道な作業のなかで、点と点が結びつき新しい発見があったときが嬉しかったですね。

 

◆生徒とのディスカッションで盛り上がったのは、どんな内容だったでしょうか。

 

今回、中心だったのが図書委員の生徒たちだったこともあり、いろんなことを学ぶきっかけとしての本についてもディスカッションになりました。

 

高校図書館での出会い

 

私自身は、大学に入るまでは完全な理系少年で、中高時代に読んでいた本も、物理学や数学、論理学について書かれた本などが中心でした。「クレタ人は嘘つきだ」と述べるクレタ人の発言ははたして嘘なのか真実なのかというような問題に出会って数学の面白さを実感したのも、相対性理論の生み出す奇妙な世界に興味を惹かれたのも、当時、たまたま手にとった本を通してでした。また、大学に入学してから「文転」したわけですが、そのきっかけになったのも、後から振り返れば高校生時代に学校の図書館で手に取った本で、科学者の社会的責任に関心を持ったことでした。

 

学生たちにいろいろな本との出会いを作りたいということで、いま大学で取り組んでいる2つの取り組みついて紹介しました。

 

本との出会いを作るビブリオバトル

 

一つが、最近、中学校や高校でも盛んになってきた「ビブリオバトル」です。ビブリオバトルとは、薦めたい本を5分で紹介し、参加者がもっとも読みたくなった本に投票するというゲームです。プレゼンのうまさではなく、かりにプレゼン自体が稚拙であっても、逆にそのことで参加者がその本を読みたくなることがあるのも面白いところだと思います。そのビブリオバトルを、ひたすら毎週やるだけの授業を一般教養の授業として行っています。ビブリオバトルを通して、自分では読まないタイプの本に触れることができます。また授業では、理系の学生は文系の本を、文系の学生は理系の本を紹介する回をつくったり、1945年以前に出版された古典を紹介する回をつくったりしています。図書館や本屋で、普段、足を運ばない棚にいってみると、意外と面白い本があることをみずから発見することにもなります。普段読まないタイプの本との出会いを増やす機会をつくることが重要です。

 

教員vs.学生の書評対決 学問の世界は対等

 

もう一つが、大阪大学の教員と学生団体がそれぞれ本を5冊ずつ選書し、書評・紹介文を書いた上で、学内の書店での両者の売り上げを競う「ブックコレクション~教員×学生書評対決」という企画を毎月やっています。教員が勝つこともあれば、学生団体が勝つこともありますが、このところ教員のほうが負け気味です(笑)。この企画の広報動画を学内のディスプレイで流しているのですが、教員と学生たちが火花を散らしながら対決するシーンが見ものです。ブックコレクションのホームページ(http://www.osaka-univ.coop/event/07_4.html)からも、書評も動画も見ることができるので、ぜひ一度見てみてください。

 

この企画で大事にしているのは、教員と学生がガチになって勝負するところです。学問の世界では、だれもが対等です。先生は教える側で、生徒・学生はその教えを一方的に乞う立場というような関係性を脱却して、学問や知のあり方を考えたい。そういう思いでブックコレクションという企画を行っています。

 

ぜひみなさんには、既成概念にとらわれず自由な発想で、いろいろなことにチャレンジしてもらいたいと思います。

 

学問本オーサービジット参加者の声

答えのない難題に全力で取り組んでいる過程を読んで、新しい学問の形を知る

◆オーサーの話でどのようなことが印象に残っていますか。

 

サイエンスカフェの存在です。サイエンスカフェとは、科学の専門家と一般人が、カフェなどの小規模な場所で、科学について気軽に話し合う場を作ろうという試みのことをいいます(Aさん)。

 

先生が話してくださった、「クレタ人はうそつき」というなぞかけのような話が面白いと思いました。例えば、日本人が「日本人はうそつきだ」と言うと、その「日本人はうそつきだ」という言葉もうそか本当かわからなくなります。相対性理論の矛盾についても初めて知りました。光速の半分で走る電車があり、その前と後に光のセンサーがあり、電車の中央が光るとセンサーが反応し、ドアが前と後ろで同時に開くことを前提とすると、前の扉から光は遠くなり、後ろの扉から光は近くなり、矛盾が生じるという例がわかりやすくとても納得できました(Bさん)。

 

「研究されてきた中で1番印象に残っている事は何ですか」と伺ったところ、「今まで点だったことが線となった時。例えばフランスの200年前の文献を読みあさって、今まで発覚してなかったことがわかった時です」という先生のご回答が特に印象に残っています(Cさん)。

 

◆オーサービジットで取り上げられた本について、とりわけ面白いと感じたところはどこですか。

 

第4章の「ドーナツの穴の周りをめぐる永遠の旅人―精神医学的人間論」です。ドーナツを食べると、消えるのは穴ではなく周りにある小麦等でできたドーナツの食べられる部分です。なので、ドーナツの穴そのものは消えません。同じように、周囲の環境がどう変わろうと、人間の心にある理想は消えずに私たちの心を支えています(Aさん)。

 

私は第2章の「ドーナツとは家である―美学の視点から『ドーナツの穴』を覗く試み」という話がとても心に残りました。「美学」において大切なのは対象だそうです。その対象は、「ドーナツ(の穴)の存在」でした。ドーナツは食べてしまえば当然なくなるものですが、「記憶としてのドーナツ」は一生残ります。幼い頃ドーナツを食べた記憶から、ドーナツを周囲の人々からの愛情と結びつけることができ、このことから保護されていた「家」に結びつきます。このように「形のないドーナツ」についても注目して考えてみてほしいです(Bさん)。

 

初めて題名を見た時は、哲学の話なのかと思いました。しかし、実際に読んでみると、いろんな学問の分野からアプローチされていて、とても面白かったです。この答えのない難題に全力で取り組んでいる過程を読んで、新しい学問の形を知ることができました(Dさん)。

 

◆オーサービジットを振り返って、読書やオーサーの話、ディスカッションから、どんなことを考えましたか。

 

理系、文系にとらわれることなく、両方の分野を知っていたほうが、よりお互いの分野についても理解が深まるのだと思いました(Aさん)。

 

今まで、私は自分の好きな、機械のデザインについての学部ばかり探していましたが、先生の「学生が考えるべき課題は教科書に載っていることだけではない。普通では気がつかない、日常の中から生まれてくる」という言葉から、自分に身近な社会(学校、駅など)について見つめてみました。すると家の設計や電車の仕組みや、オーサービジットで先生が話されていた相対性理論の矛盾など、普段の自分では考えないであることに気づくことができました。今は機械工学と建築で迷っています(Bさん)。

 

1つの専攻分野にとらわれるのではなく、多角的に1つの事柄をとらえることができる、教養学部に入りたいと思いました。自分の興味がある分野以外(生物学など)の本にも少し挑戦してみようと思いました(Cさん)。

 

興味がわいたら BookGuide

『文系と理系はなぜ分かれたのか』

隠岐さや香(星海社新書)

理系と文系ってなんで分かれているんだろうか? 理系と文系が分かれてることに意味があるんだろうか? そのような問題を、理系・文系のそれぞれの歴史を踏まえながら明らかにしていきます。理系・文系という枠組みについて考えたい人に読んでもらいたい一冊です。

[amazonへ] 


『学問からの手紙 時代に流されない思考』

宮野公樹(小学館)

「京大100人論文」や「京大100分野ワークショップ」など、京大で学部の枠を超えた斬新な取り組みを次から次へと仕掛ける著者による学問論。大学で学ぶってどういうこと? 学問の役割ってなに? そんな問題について、根本から考えたい人におすすめの一冊です。

[amazonへ]


『科学史ひらめき図鑑 世界を変えた科学者70人のブレイクスルー』

スペースタイム(ナツメ社)

古代から現代にいたる70人の科学者・技術者たちの「ひらめきの瞬間」「発想の転換」を簡潔に紹介した本です。「視点を変えろ!」「失敗から学べ!」など斬新な切り口による紹介は、教科書にでてくる発明・発見をより身近なものに感じさせてくれます。

[amazonへ] 


『近代日本150年 科学技術総力戦体制の破綻』

山本義隆(岩波新書)

開国から戦後にいたる日本社会の歴史のなかで、科学技術は国家や戦争と深く結びついて発展してきました。日本の近現代の科学技術のあゆみを知ると、社会の見方が大きく変わってくるのではないかと思います。理系・文系どちらに進もうという人たちにも読んでほしい一冊です。

[amazonへ]