都市社会学・地域社会学

みらいぶプラス 学問本オーサービジット(協力:筑波大学)

ポスト3.11の「安心」のかたち ~異なる立場の住民同士が話し合うことから生まれた安心感

~神奈川県立多摩高校オーサービジット

五十嵐泰正先生 筑波大学 社会・国際学群 社会学類/人文社会科学研究科 国際公共政策専攻

第4回 「みんな」にとっての解決~マーケティングとしての課題解決と、社会における課題解決

よく誤解されるのですが、この円卓会議は柏の野菜全般の信頼を全国に向けて回復しようとしたものではありませんでした。以前のようにジモトの消費者に野菜を買ってもらいたい生産者と、柏の野菜を本当は買いたい消費者をつなごうとする、もっと小さな小さな活動でした。円卓会議が一定の成功を収めたのだとすればそれは、ジモト野菜を売っていこうとする対象をどこに絞ればいいのか、その対象はどういう情報やストーリーがあれば買ってくれるかを考えたこと、つまり、マーケティング的な発想を強く持っていたことです。

 

円卓会議のプロジェクトに参加していた農家にとっては、自分が作った野菜を日本中のすべての人に買ってもらう必要はありません。僕たちの「ジモト野菜の物語」に共感してくれる人だけをターゲットにし、その人たちが納得して買ってくれることだけを考えれば、十分な需要が取り戻せるわけです。消費者の嗜好・価値は細分化の方向をたどっている近年の成熟した市場では、少量多品種生産を特徴とする柏の都市型農業の場合、この発想が適していると考えたのです。最初は放射能で分断されていても、徐々にそういう共感の輪を広げていこうということが、この本でいう「みんな」の意味です。

 

ただ、ここでの「みんな」というのは、ある意味でターゲットを絞って限定した「みんな」でした。放射能災害に遭った地域の農業の復興という意味では、こうしたマーケティング的な発想に基づく課題解決が、功を奏しました。ただ、この方向での課題解決のために、「みんな」からあえて外してしまった「ご縁のなかったお客様」はたくさんいます。だから円卓会議の方向性は、放射能による分断という社会問題の解決としては、実は非常に不十分なものなのです。マーケティングとしての課題解決と社会における課題解決は違います。まだまだ福島の放射能に関する不安や政府への不信が一部に根強く残っているいま、このプロジェクトでいう「みんな」から外れてしまった人とどう対話し、折り合いをつけていくのか。それは社会学者としての今後の大きな宿題です。

 

いま、原発をどう考えるか

実際にホットスポットとなった町に住んでいた僕は、東日本大震災以降、政治的な脱原発運動よりも、地域の安全な環境や食品を求めて、日常を取り戻そうとするローカルな運動を重視してきました。

 

脱原発は支持していますが、将来のエネルギー政策とは別に、いまそこにある汚染状況やそこから生じる地域課題には、適切な科学的なデータをもとに向き合い、何とかしていかなければいけないからです。

 

では、「原発で一番いけないのは何か」。「コントロールできないこと思う」と、ある高校生は述べました。

言うまでもなく原発事故は物理的・医学的にも甚大な被害をもたらします。

 

ただ、一部の脱原発運動家が主張するような甚大な健康被害は、今回の原発事故では起こらないという見解が科学者の間では主流です。でも、だからと言ってこの原発事故の被害を過小評価していいものでしょうか。

 

原発事故がもたらしたものは、健康被害だけではありません。いまだ10万人近くの人々が避難生活を余儀なくされ、避難先で精神的に病んだり孤独死したりするような問題が起きています。コミュニティが分断され、住み慣れた故郷での暮らしが突然奪われたからです。

 

また、避難はしていない人たちでも、仲のいい友だちと放射能に対する解釈の違いから疎遠になる、夫婦が離婚する、ママ友の間でギクシャクする…こうした個人的な「痛み」を抱えている人は首都圏にもたくさんいますが、これだって看過できない重大な原発事故の社会的被害です。

 

放射線の健康被害には長期的に潜伏する可能性がある晩発障害があり、いまは大丈夫でも将来はどうだろうかという不安を、払拭することが非常に難しい性質があります。また、放射能災害の科学的リスク評価と政治的な立場は、本来切り分けて考えるべきものだと思いますが、原子力利用は軍事技術と不可分に結び付いてきた背景もあり、その切り分けがやり切れるものではなく、論争と社会的分断が続くのも仕方のないところがあります。このような性格を持つ原子力は、科学的にはともかく、いまの我々には社会的にコントロールできないものなのではないかというのが、震災後5年間を経た僕の現時点での実感です。

 

つづく

 

興味がわいたら

『みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』

五十嵐泰正+「安全・安心の柏産柏消」円卓会議(亜紀書房)

ベッドタウンでありながら首都圏有数の農業地帯でも柏市では、2011年、放射能のホットスポットとなったことで、その「地産地消」のあり方が大きく揺れます。そんなとき立ち上がったのが、農家・消費者・流通業・飲食からなる「安全・安心の柏産柏消」円卓会議。利害の異なる人たちが熟議を重ね、協働的に土壌と野菜の放射能を測定し、情報公開を行うことで、一歩一歩信頼と「安心」を取り戻していった円卓会議の一年間の歩みを、ドキュメントや関係者のインタビューなどで克明に再現した本です。

 

この本は、私の専門である都市社会学・地域社会学の中心的なテーマを直接扱っているわけではありませんが、社会学を学ぶことで、様々な立場の人たちに耳を傾けて、その利害や思いを「調整」するというセンスを身につけることができ、また、こうした「調整」を市民サイドが担っていくことがますます必要になってきている、ということを伝えたいとも思います。

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『なぜローカル経済から日本は甦るのか』

冨山和彦(PHP新書)

賛否両論ある著者ではあるが、グローバルとローカルの2つの経済圏がまったく異なる論理で動いていることを、豊富な実践経験から説得的に論じている本です。

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『ローカル志向の時代』

松永桂子(光文社新書)

上記でいうローカルな経済圏に新たな「生態系」を築こうとしている若者たちと、そういう人たちが集まる地域の条件を、これも豊富な実例を挙げて論じています。企業に勤めるだけではない生き方を考えている人に特におすすめです。

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『住宅政策の何が問題か』

平山洋介(光文社新書)

居住の貧困と空き家問題が並行する、非常に歪んだ日本の住宅事情の根源を極端な持ち家主義に求めて歴史的・政策的に分析し、社会政策としての住宅政策という世界標準の考え方を提唱しています。

 

『よくわかる都市社会学』

中筋直哉、五十嵐泰正:編(ミネルヴァ書房)

高校生も関心あるような一見「意外」なトピックから硬派な理論的なトピックまで、見開き2ページごとの「読み物としても面白い辞典」形式の教科書。社会学の一分野としての都市社会学のみならず、都市計画や地理学、都市史といった隣接分野の気鋭の研究者も数多く執筆し、総合的な「都市社会学」のガイドとなっているのが特徴です。

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高校生へのおすすめ作品

『グラントリノ』

クリント・イーストウッド主演・監督の映画。背景を知れば知るほど、アメリカの衰退する都市における重層的な差別構造がうまく描かれていることがわかる。ややファンタジックな結末への批判的な検討も含めて、アメリカ人はこの映画に何を見たかったのかを考えてみるといいと思います。

 

『闇金ウシジマくん』

真鍋昌平(小学館ビッグコミックス)

「エグい」描写も多いが、ドラマ・映画版より、現代社会の諸相を切り取る漫画として評価の高い原作がお勧め。特に「フリーターくん編(7~9巻)」「楽園くん編(16~17巻)」など。『社会学ウシジマくん』(難波功士著)という「副読本」もあわせて読むといいでしょう。若者の貧困や機会の不平等といった現実により焦点を当てた作品としては、漫画『ギャングース』(肥谷圭介、鈴木大介著)もお勧めできます。

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『コンビニ人間』

村田沙耶香(文藝春秋)

2016年芥川賞受賞作。現在の「マニュアル化された社会」を、よくある疎外論(「○○が失われている、奪われている」という語り口)を完全にひっくり返して、「ムラ社会からの解放」として描き切っている現代的な感性が、きわめて興味深い作品です。

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五十嵐泰正先生インタビュー

幅広い職種や経済状態の大人で構成された地域団体に入って「揉まれて」みよう

五十嵐泰正先生インタビュー

筑波大学 社会・国際学群 社会学類/人文社会科学研究科 国際公共政策専攻

 

「将来の仕事選びのヒントとなる働き方に関する本」多摩高校からもブックガイド

このオーサービジットは、被災地への修学旅行研究の事前学習の延長として、関心を持った高校生たちと国語の先生とで企画されました。その事前学習で扱われた「将来の仕事選びのヒントとなる働き方に関する本」をここでも紹介します。

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2016 学問本オーサービジットのご案内(昨年の募集案内です)