論理学・分析哲学・言語哲学

20世紀の大哲学者ウィトゲンシュタインの「哲学と一致させた人生」の謎に迫る

六甲学院中学・高等学校オーサービジット

『ウィトゲンシュタインはこう考えた』を読む

鬼界彰夫先生 筑波大学 人文・文化学群 比較文化学類 現代思想コース/人文社会科学研究科 哲学・思想専攻

 

第4回 ウィトゲンシュタインのもう1つの重大問題、「私」の根源を訪ねる=独我論

前期の著作『論考』の抱えていた、もう1つの重大なテーマが実はあります。「独我論」です。ウィトゲンシュタインは、客観的な世界が存在していることは科学言語で語り得ると言っていますが、実は本当の意味で存在するのは、語る主体である「私」だけなんだという思いが、そこには強烈に込められています。これを「独我論」と言います。

 

つまり、今、この言葉を誰がしゃべっているのかというと、ほかならぬ「私」なんだと。しかも「私」がしゃべっている言語が形作っているこの世界は、「私(だけ)」が見ている世界なんだ、というのです。これが独我論の主張の重要な部分です。

 

ただしこの「私」は、世界の中に現実に存在する「私」じゃなく、その中で総ての現象が現れる、世界を包み込む精神のようなものです。先に述べた「語りえない存在としての神」とどこか似た存在ですね。語りえない存在としての「私」のことです。

 

ウィトゲンシュタインの「独我論」は、難解でよくわからないと批判を受けてきました。ウィトゲンシュタインは独我論の説明の中で、「私の言語の限界が私の世界である」「世界が私の世界である」と言っています。人を寄せつけない、とても排他的な感じがする学説ですね。

 

彼はこの独我論の主張についても、原理的に「語りえない」ものとして見事に封印しています。「語りえないことには、人は沈黙しなければならない」という彼の有名な言葉の通り、非常に禁欲的な態度を貫いているんです。

 

しかし、今でもこの独我論は現代哲学の認識論に大きな影響を与えています。多くの人を惹きつける「自我」「私の根源は何か?」という論争は終わっていません。

 

連載つづく

興味がわいたら Bookguide

『孔子伝』

白川 静(中公文庫BIBLIO)

 

ウィトゲンシュタインのように、生き方と哲学がつながって存在する思想家がいたこと、そしてそういうあり方・姿とはどういうものなのか知ってほしい。ここでは、後世作られたイメージを解き放ち、孔子を一人の人間としてその生が描かれ、同時にその思想が示される。孔子は、紀元前5世紀、春秋時代の中国の思想家、哲学者だが、生涯の重要な時期を亡命と漂泊のうちに過ごした「反体制者」であった。そしてそもそも世界中で読まれ続ける「論語」は、弟子たちによってまとめられた。この本は、孔子と彼を始祖とする儒教が理想化されることなく、生々しく描かれている。孔子は「名もない巫女の子として、早く孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう」。そして、儒教の「儒」は「侏儒(こびと)」から出ていて、古代の人身御供から生まれた語だとも明らかにしていく。著者は漢文学者・東洋学者であり古代漢字研究の第一人者。

 

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(本オーサービジットは2015年2月に実施されました)