日本文化論
学問本オーサービジット(筑波大学協力)
日本人を深く知るための「深層文化」を考える
~『日本の深層文化序説~三つの深層と宗教』を読んで
宗教学・日本文化研究 津城寛文先生+関西大倉中学校・高等学校
津城寛文先生 筑波大学 人文・文化学群 比較文化学類/人文社会科学研究科 国際日本研究専攻

東京五輪が近づき、日本文化が見直されるようになっています。古いと思われていた伝統文化が海外から「クールジャパン」ともてはやされることもあります。今回のオーサービジットは『日本の深層文化序説~三つの深層と宗教』を書いた津城寛文先生。宗教学者であり、筑波大学で国際日本研究を行う津城先生は、日本文化研究が一番低調だった20年前、日本をしっかり考えようとこの本を書きました。今の時代を生きる、日本の深層文化とは何かについて考えました。
●オーサー本:『日本の深層文化序説~三つの深層と宗教』津城寛文(玉川大学出版部) [出版社のサイトへ]
第1回 来日経験のない外国人が書いた、画期的な日本人論『菊と刀』が語る日本

日本の深層文化の話をしたいと思います。深層文化って何でしょう。深層文化とは、様々な民族文化の一番根っこにある「深層」を探ろうということで始まった学問です。

実は「深層文化」と言う言葉は、日本で生まれたオリジナルです。その由来を少し説明します。深層心理学という学問があります。これは、20世紀初頭、精神分析学者のフロイトやユングが創始し、「無意識の発見」で有名な学問です。この深層心理からヒントを得て、日本の哲学者、上山春平が提唱したのが「深層文化」と言う言葉です。さらに私はそれを「ディープ・カルチャー」という世界共通語に翻訳しました。
私は次の3つの観点から、日本の深層文化というものを分析しています。「われわれはどこから来たのか」というルーツや歴史、「日本人の心や社会の一番深い構造はどうなっているのか」などの文化心理面、「日本人の感じる原風景のなつかしさどこから来るのか」というような「民俗」的な面。この3つの深層文化について私は研究してきました。
この研究を始めた目的は、表面的な思いつきや断片的な比較をする日本文化論でなく、文化の深層を調べることで、より深く日本人を理解するためにほかなりません。そして、実は海外の人のほうが、日本を客観視して、日本の深層文化についていくつか論じています。その1つが、『菊と刀』です。
私は1995年に出版した『日本の深層文化序説』の中で『菊と刀』を論じています。『菊と刀』の著者は、米人女性文化人類学者、ルース・ベネディクトです。日本の敗戦間際、米国の戦時諜報部の依頼で、戦後占領する日本を知るために書かれ、1948年出版された本です。戦後まもなく出版された『菊と刀』は、日本人の特徴をよく掴んでいると大反響を呼びました。
ベネディクトが指摘した、とくに核心になる重要なことは、日本人は個人主義でなく集団主義であること。そして、罪の重大さより恥の重大さに重きを置いた“恥の文化”だということ。この2点です。
驚くべきことに、実はベネディクトさんは日本に来たことはなく、日本語も知らなかったのです。言い換えると、フィールドワークなしに、彼女の洞察力だけで書き上げました。にもかかわらずその後彼女の指摘はしばしば引用されるようになり、「日本人はこうだ」という日本人論のスタイルを最初に確立したものと言われています。
『菊と刀』に影響されつづけた日本人による日本研究
日本で一番有名な民俗学者、柳田国男――『遠野物語』で有名ですね――は、「日本人の文化型をよその国の民族学者に決めてもらうことになった。してやられた」と悔しがったそうです。戦後長い間、日本人研究は『菊と刀』に影響され続けました。
1971年に出版された『「甘え」の構造』(土居健郎著)という本は、『菊と刀』がきっかけで書かれています。土居さんは、『菊と刀』を読み、「そこに自分の姿が映し出されている気がした」とたいへん感銘を受けました。その後、土居さんは日本人の日本人たるゆえんを日本語で明らかにしようを決心します。日本人の心理に特異なものがあるとすればそれはどうやら「甘え」という日本語独特の言葉だと確信しました。そして、「甘え」という母なるものに寄り添う日本人の心性を分析し、『「甘え」の構造』という本を書いたのです。この本はベストセラーとなり、今でも、代表的な日本人論の一つです。このように異文化の人から指摘され、日本人理解が進むということがよくあるのです。
興味がわいたら Book Guide

『菊と刀』
ルース・ベネディクト 長谷川松治:訳(講談社学術文庫)
70年くらい前に、日本語もできず、日本に来たこともない文化人類学者によって書かれた、日本論の古典。欠点を含めて、作品として味わう価値のある本です。
この本は、誤解を含めて、他者理解とはなにか、どうあり得るかというヒントを多く含んでいます。とくに、課題設定の仕方が、うまい。これはセンスの問題であり、著者が詩人であったことが、決定的です。鈍感な研究者は、何を研究しても、理解が鈍いが、繊細な研究者は、細かい材料を見る前に、何をどう考えるか、見通しができます。そのようなセンスのよさを、視点や課題設定の仕方から、学ぶことができます。作品として、物語として、見事である。
冒頭部分で、本書が明らかにしたい課題が、様々に言い換えられています。「生活の営み方に関する日本人の仮定」「日本人をして日本人たらしめているところのもの」「国民に共通の人生観を与える、焦点の合わせ方、遠近の取り方のこつ」「思想・感情の習慣」「習慣がその中に流し込まれる型、パターン」など。まとめると、日本的なパターンを見つけることが、『菊と刀』の課題です。
『菊と刀』からは、センスのよさを培うことを、再確認させられます。ベネディクトが採った方法は、文化人類学的なもので、研究対象は「日本人、日本文化」でしたが、他の研究対象も、センスよく扱うべきことを、この作品は例示しています。具体的な知識を得ようとしてこの本を読むと、著者の間違った解釈を学ぶか、あるいはそれを批判するだけか、どちらにしても、表面的な読み方になります。自分の関心のある対象を、どんな方法を使って研究し、どのような作品に仕上げるかの「考えるヒント」にしてください。
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『「お迎え」されて人は逝く 終末期医療と看取りのいま』
奥野滋子(ポプラ新書)
超高齢化を迎え、どう生きるかとともに、どう死ぬかを考えることが必要な時代になりました。死生観を考える参考になります。若い人でも、「なぜ生きるのだろう?」と悩む人には、おすすめ。
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