エンタテインメント・ゲーム情報学

人生は「ロール・プレイング」~演技を引き出すシステム設計

福地健太郎先生

明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科/先端数理科学研究科 先端メディアサイエンス専攻

日本人は引っ込み思案の恥ずかしがりやと言われますが、そんな性格は変えることができるのでしょうか。ライブコンサートや演劇などのエンタテインメントステージ向けシステムの研究開発をしてきた福地健太郎先生は、その研究の延長で、一般の人々の演技を引き出すシステムの研究をしています。これまで「ほんとうの自分」と思っていたものも、いつのまにか背負わされていた負の自分の「役」だったことにさりげなく気づかせる――演技を引き出すシステムで、それはどんなふうに実現できるのでしょうか。

人は演じることで力を発揮できる

 

私はこの20年間、ライブコンサートや演劇向けのステージ映像をつくる仕事を続けています。カメラ映像にCGを組み合わせてお客を楽しませステージを盛り上げる、そんな技術の開発です。そこから発展して、プロのパフォーマーが演じるのと同じように、一般の人が「役を演じる」ことができるかという研究を進めています。

 

日本人は恥ずかしがりが多いので、人前で演技をしてくれるか最初は不安でしたが、「人を楽しませるという役割」を与えてあげると見事に演じてくれるということがわかってきました。表現欲求を自然に「引き出す」システム設計が鍵になっているようなのです。

 

このシステムを使った面白い例に、「自撮りトランポリン」があります。トランポリンの上で飛んでいると適切なタイミングでシャッターが自動で押され、いい感じで自撮りできるような仕掛けをほどこしてあります。早い話が、トランポリンをしながら、「インスタ映え」する写真が撮れるものです。

 

様子を観察していて驚いたのは、運動の得意そうでない子もトランポリンを楽しんでいたこと。お互いの技術を見せ合いながら、ちょっとでも面白い写真にしようという様子が伺えました。このシステムは、誰もが持つ表現欲求をうまく引き出せているのだと考えています。

 

そこで気づいたのは、これまで運動に消極的だった子というのは実は、運動が不得意だと思わされていたに過ぎず、適切な動機に突き動かされさえすれば「運動ができる」自分という役を作り出して、自分でも気づいていなかった新たな自分を発見できるということでした。

 

個性は選び取ることができる

 

こうした動機と役割との関係について考えるきっかけになったのは、戦後に活躍した演劇評論家・翻訳家の福田恆存が書いた演技論です。福田は『人間・この劇的なるもの』(新潮文庫)の中で「(人は)だれでもが、なにかの役割を演じたがっている」と述べています。これこそ私が研究を通じて感じていたことでした。さらに人は演じたい役割を演じるとき、それをとても楽しんでいるように見えます。役割を演じるのは、社会に生きる私たち人間の本能のようなものなのかもしれません。

 

一方で、楽しんで演じることができない役割というのもあるでしょう。「運動が苦手な自分」もそうですし、「嫌々受験勉強をする自分」という役割を現在進行形で演じている人もいるでしょう。でもそれらは、自分が持つたくさんの役割の中の、ほんの一部の役割なのかもしれません。そしてそれは、トランポリンの研究で私が見たように、なにかほんのちょっとした新しい役割を自分に課すだけで、自分の気持ちをガラリと変えられるかもしれないのです。

 

福田はさらに「個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ」と述べています。私はこの言葉を、「役割を選べるように、個性は自分で選ぶことができる」と解釈したいのです。「個性」は「ほんとうの自分」と言い換えても構いません。それを探すのではなく、演じてしまえばいいのです。個性にしろ「ほんとうの自分」にしろ、ただ一つだと思い込んではいけません。複数の自分をその時々の気分で演じ分ければいいのではないでしょうか。

 

この考え方を推し進めて、いま私は演じる面白さを様々な分野へと適用することに取り組んでいます。例えばリハビリテーションであれば「リハビリを楽しんでこなす人」という役割を与えられないか。教育であれば「積極的に手を挙げて質問する人」「じっくりと資料を調べる人」という役割を演じてみるきっかけを与えられないか。そんなことを考えながら研究を進めています。

 

興味がわいたら

『人間・この劇的なるもの』

福田恒存(新潮文庫)

福田恒存は、シェイクスピアやヘミングウェイらの作品の翻訳や、劇作家として著名な人物で、またすぐれた評論を数多く残しています。多くの評論で人間を「演技」という観点から読み解くことを試みており、「人間・この劇的なるもの」はその代表的なものです。一節を引用します。

 

「個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ。」

 

学校での友達付き合いやオンラインでのコミュニケーションにときに流されつつ、「本当の自分」とはなにかと悩んだりしたときには、ぜひこの一節を思い出してみてください。

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『フィンチの嘴 ガラパゴスで起きている種の変貌』

ジョナサン・ワイナー(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

生物はいかにして進化するのか。気の遠くなるような長い年月をかけて、しかし日々少しずつ着実に変化していく「生命」というシステムを科学的に探究する課程を丁寧に追ったもの。

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『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』

ダン・アリエリー(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

人間の行動は決して合理的ではない。私たちはなんでこんなに間違えるのか?そしてそれは本当に間違いなのか?人間の認識能力についての研究と経済を結び付けた「行動経済学」の魅力を、豊富な実例で解説。

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『はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内』

野矢茂樹(PHP文庫)

「考える」ってどういうことだろう、どうやって「考え」ればよいのだろう。「考える」ことを「考える」本。といっても小難しい本ではなくて、詩集や写真集を眺めるように、時折思い出してパラパラとめくるだけでいい。そんな存在感を持った哲学書です。

 

「それぐらい自分で考えろ!」と突き放された経験はありませんか。でも、どうやって考えればいいのか、ちゃんと教えてもらったことはない人がほとんどでしょう。だからといって「どうやって考えればいいの?」とさっきの人に聞いたとしても、また「それぐらい自分で考えろ!」と言われるのが関の山。本書はその「考え方」を教えてくれる本です。しかし、考え方の実践的なノウハウが並んでいるわけではありません。「考える」ってどういうことなのかを、著者が一緒になって考えてくれる、そんな本です。そう、「考える」という行為は、決して自分一人で行うものではないのです。

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福地健太郎先生インタビュー

エンタテインメントの力で新しい視点、新しい行動を

福地健太郎先生 明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科/先端数理科学研究科 先端メディアサイエンス専攻