君がいる俳句のセカイ

第6回 スペシャルインタビュー

「エヴァンゲリオン」が登場する俳句の授業って?

~高校時代、大学時代のディープな趣味も研究につながっている

青木亮人先生 愛媛大学  教育学部 国語教育専攻

今回からは俳人・佐藤文香さんが大学の先生にインタビュー。俳都・松山で「俳句学」の授業を受け持つ新鋭の俳句研究者、青木亮人先生に伺いました。

vol.1 脱「春は桜、夏は海」。平凡な日常での意外な発見こそ俳句

「俳句学」ってどんな授業?

青木亮人先生
青木亮人先生

佐藤さん:愛媛大学で青木先生が担当されている「俳句学」はどんな授業ですか。

 

青木先生:「俳句学」は共通教育枠なのでいろいろな学部の学生が受講します。俳句は初めてという学生もいれば、俳句甲子園で本腰を入れて頑張った学生もいますし、授業時間枠がそこしかなかったという理由の受講生もいます。ですから、句作や句会等の実作も交えつつ、「俳句的感覚」といった価値観を実感してもらえるような授業を心掛けています。

 

ただ、「季語は日本語の豊かな財産」「句作を通じて四季を味わおう」といったことは一切やらない(笑)。何をもって「俳句」作品と認めればよいのか、そもそも「俳句」らしさとは一体何か、といったことを学生と一緒に考える授業です。

 

とはいえ、教員の僕が「俳句とは何か」を講義形式で延々と語っても、受講生にはなかなか伝わりにくい。小説ならまだしも、俳句をしっかり読んだことのない学生が大部分なので、「俳句らしさ」を感じてもらうために映画や写真、漫画やアニメ、ポップスなどと関連させながら、共通点や違いを少しずつ体感してもらう内容にしています。まあ、目の大きい女の子が活躍するアニメを使ったりしているんですけどね(笑)。

 

佐藤さん:「新世紀エヴァンゲリオン」が授業に登場することもあるとお聞きしました。

 

青木先生:ええ。興味深いのは、こちらから条件等を付けずに受講生にとにかく俳句を詠んでもらうと、ほとんどが美しい景色や感動したことを詠むんですよね。散る桜や、紅葉と秋空とか。それもいいのですが、「俳句的感覚」はそれだけではありません。日常の中での説明の付かない出来事や、美意識や先入観から外れたものや意外な発見こそ「俳句らしさ」で、しかもそれを面白がり、俳句という作品に詠んでいいんだという認識が「俳句的感性」である、といったことを、他ジャンルなどを参照しながら説明する、という感じです。

 

「エヴァンゲリオン」でいえば、ややグロテスクなシーンを参照することもありますが、それよりもさびれた電柱が映っている場面や電車に乗っているシーンなどを例にすることが多い。平凡な電柱や電車の風景があえて描かれた「日常」のあり方を考えながら、俳句で「日常」を詠むとはどういうことかを考える。森山大道が新宿をモノクロで撮った写真や川内倫子の家族写真なども参照したりしながら、身の回りの何気ないひとときや出来事を「日常」として発見した時、いつもと同じ風景が全く異なって迫ってくることの驚きや面白さを詠むことが「俳句的感覚」の特徴でもあることを話したりもします。

 

こういうことを句作や句会、そして僕からの話などを通じてだんだん実感してもらったあと、「写生」を考える授業に入っていきます。春といえば桜、夏といえば海といった季節感や、いかにも美しいものを美しいと詠むのでなく、むしろ春の一般的なイメージからずれたものを詠むのが「写生」であり、私たちの常識や先入観からはみ出たものを発見する感覚が「写生」ということを句作等で体感してもらうわけです。

 

愛媛大学のある松山でいえば、「松山城、道後温泉、ミカン、夏目漱石の『坊っちゃん』」あたりが観光客の大体のイメージだと思いますが、実際に住むと毎日道後に温泉に入るわけではないですし、日課のように松山城に登ってミカンを食べるなんてしない(笑)。松山に住んでいるからといって城や温泉を詠まなくともよい、自分の通学路で見た小さな花の様子や、いつも食べている大学食堂の雰囲気を詠むことが「俳句」なんだよ、というわけです。

 

もっといえば、ディズニーランドやハワイに行って、特別な非日常の世界を詠む必要は全くないんだ、平凡な身の回りの景色に目を留めて、いつも見慣れていたはずの「日常」の中に、よく見ると全く知らない世界が広がっていたという驚きを詠む方が「写生」であり、「俳句」なんだということを、日常ものの映画やマンガなどと一緒に示すと、学生はすごく身近な問題として納得してくれるようです。どうも皆さん、文学作品は特別なことや美しいものを詠まねばいけないと信じこんでいる場合が多いので、そういった文学観を解きほぐすところから授業を進めていく……という感じですね。

 

その上で、そういった平凡な日常を俳句作品にしようとしたとき、それを言葉で表現することがいかに難しいかといったことにも気付いてもらいつつ、俳句独特の省略の仕方や取り合わせなどを簡単に教えながら、句会も体験してもらっています。

 

こんな人に「俳句学」の授業をうけてほしい

佐藤文香さん
佐藤文香さん

佐藤さん:今お聞きして、俳句的な見方を教えるというのは、読み解きにくいと思われている俳句の、読者を育てることになるなと思いました。どんな学生に、「俳句学」の授業を受けてほしいですか。また、愛媛大学で一緒に俳句の研究をするなら、こういう人にぜひ、というのはありますか。

 

青木先生:「俳句学」の授業では、「ここは『けり』をつかうべき」「この助詞はいらない」といった表現の細かいことにはこだわらず、「いつも見慣れた平凡な風景を見つめ直すというのはどういうことだろう」といった基本的な感覚を摑むところからやっているので、俳句に興味があってもなくても、面白さは共有できると思います。

 

あとは、それまで考えなかったことや知らないことに接したときに「面白い」と感じる学生と一緒に授業をするとかなり楽しいですね。少し見方を変えると世界が変わるんだ、そういう感覚を面白いと思えるセンスや、そんなふうに思える感性があるといいな、と思えること自体、実はすごいことだと思うんです。そういう方と授業を一緒に作り上げていきたいですね。句会でもそうだと思うんですが、授業ってナマモノなので、お互い面白いと思える瞬間を共有できたらいいですね。

 

俳句学・連歌(誹諧)、近代文学が学べる大学・研究者

興味がわいたら

『ゼロ年代の論点』

円堂都司昭SB新書)

1990年代に大ヒットしたアニメ「エヴァンゲリオン」に端を発した「セカイ系」が、2000年代以降のサブカルチャーに及ぼした影響力を読み解く。

アニメやゲームといった、一見「研究」から遠いと思われるサブカルチャーを分析した好著。自分の感想や解釈を優先させずに、アニメ史や時代の風潮、作品の影響関係などを、できるだけ実際の資料や発言、過去の作品等に接しながら客観的に「研究」しようとした点が知的で、面白い。

1990-2000年代アニメやゲームなどの限られたジャンルの流れや知識を知ることができるが、それより重要なのは、例えサブカルチャーといえども歴史の文脈や経緯があり、一朝一夕に出来たものではないということ、そして普段は何気なく観ていたり、「面白い/面白くない」「合う/合わない」と個人的な趣味で判断したりしていたジャンルの作品でも、制作者や作品にはかなりの細かい意味や可能性、魅力などがあり、それは(自分自身が)面白いかどうかとは違う価値観で成り立っていた歴史があり、作品があることを知的に感じ取ることができる。これは自分自身や近しい人々についても同様で、私の研究する文学研究についても同じことがいえる。そういうことを、アニメという具体的なジャンルで考察したこの本を手がかりに、想像することができる。

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『ろくでなしの歌』

福田和也(KADOKAWA メディアファクトリー)

ドストエフスキー、川端康成、バルザック、三島由紀夫といった世界の文豪の生き方や作品を通じて、学校ではまず教わらない「文学」の危ない魅力を玄人が読み解く。

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『日本の詩歌』30巻 俳句集 

(中公文庫)

近代~戦後期までの代表俳人の作品を収めた好アンソロジー集。絶版だが、アマゾンや古書店で200円ほどで売られている。

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『夏のおわりのト短調』

大島弓子(白泉社)

少女マンガの傑作。思春期の淡い恋愛を描きつつ、他人の分からなさや人生の不条理を垣間見せる。少年ジャンプ系と違う、純文学のようなマンガの世界を味わいたい人にオススメ。

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『近代能楽集』

三島由紀夫(新潮文庫刊)

古典能を現代演劇にリメイクした戦後小説。普通の小説と異なり、演劇の脚本のように書かれている。三島の天才ぶりが発揮された近現代最高峰の脚本小説で、本物の「文学」を知りたい人にオススメ。

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『魔法少女まどか☆マギカ』(アニメ版)

新房昭之監督・シャフト制作

2000年以降のアニメ界が達成した傑作。バランスのとれたエンターテイメントでありながら、「正義・友情・努力」と真反対の人生の厄介さや難しさを根本に据えた物語で、生きることの複雑さを知りたい人にオススメ。