ビブリオバトル、本のおもしろさを人に伝えるおもしろさ
~本を読む人の内面がホロッと見える

作家・角田光代さん

角田光代さん 2014年度全国高等学校ビブリオバトル決勝大会にて
角田光代さん 2014年度全国高等学校ビブリオバトル決勝大会にて

読書のおもしろさを人と共有できる?


私はビブリオバトルというものを、全く知らないでおりました。昨年初めて、NHKのラジオ番組で作家がビブリオバトルをやるというものに呼ばれて、何も知らないまま引き受けてしまいました。詳しい話を聞いたら「自分の好きな本について原稿を作らずに5分間しゃべる」。そして「人とそれを競っていく」と。とんでもない話だ!と私は思いました。

まず、私は話すのが苦手です。原稿を作って読み上げるのはできますが、話すのが苦手なのでモノを書いているという部分があります。「5分も話すのは嫌だな、原稿もなしで話すのは嫌だな」とまず思いました。

それから、もともと私には、「読書のおもしろさというものは人と共有できない」という信念があって、ものすごく仲の良い人であっても、「この本、おもしろいよ」と薦めても、絶対にわかってもらえないという気持ちがあります。本と自分の付き合いというのは非常に個人的なもので、それを言葉で「これのココがおもしろいよ」と言ってわかりあえる、ということは、まずない、というふうに思っていました。

そんな思いの中で参加させていただいたので、自分の話すときは本当に嫌でした。制限時間を知らせるタイマーがピッピッピッっと出る。あれがもう嫌。「時間を余らせちゃいけない」というのもプレッシャーだから嫌。本当に嫌だな、嫌だなと。

ところが……。

 

本について語りながら、自分のことを語る

私がラジオ番組で参加したビブリオバトルには、ロバート・キャンベルさん(日本文学者、東京大学教授)や川上未映子さん(小説家、女優)が参加していたのですが、みなさんの発表を聞いていると、書評を読むのとは違う不思議なおもしろさがありました。「自分がやるのは嫌だけれども、人のを聞いているのはおもしろいな」と思ったんです。今日の全国高等学校ビブリオバトルもそんな思いで、ゲストとして参加させていただきました。

今日は発表を聞いていて、ラジオで行ったときに他の人のものがおもしろいと思った理由がわかりました。発表者の高校生たちは、自分がおもしろいと思った本について語りながら、同時に自分について語っているということに気づいたのです。全く会ったことのない彼女らや彼らから、内面とかその人のあり様というのがホロッと見えたりする、そのことがすごくおもしろいと思ったのです。

先ほど「私と本との関係」というのは、他の人とは全く共有できない、非常に個人的なものだ、と話しました。けれども、ビブリオバトルという場では、「その人とその本との非常に個人的な関係」というのが見えるのだな、と思いました。今日初めてお目にかかった高校生たちがその本を読んでいる姿が、ぼんやり浮かんできたりもします。

ビブリオバトルでは、「こういうふうな読み方があるのか」という気づきもあります。例えば、私がかつて読んだ本について語った高校生がいました。それは、自分の命の時間と引き替えに、この世から一つ、また一つとものをなくしていくという話です。主人公が「◯◯だったらなくしてもよい」と選んでいくのです(『世界から猫が消えたなら』川村元気:著)

 

『世界から猫が消えたなら』(マガジンハウス)
『世界から猫が消えたなら』(マガジンハウス)

私はその本を読んだときに、例えば私はカリフラワーが嫌いなので、「カリフラワーは別にこの世からなくなってもよい」と思いながら読んだのです。「携帯電話もなくなっていいよ」などとも思うわけです。でも、発表者の彼は、「携帯電話なり、チョコレートなりが自分にとってなくなる、ということだけじゃなくて、世の中すべての人にとってなくなるんだ」と話していました。「カリフラワーがなくなってもよい」と私は思っても、カリフラワーが大好きな人もいるわけで、私は非常に狭く自己中心的に読んでいたのですけれど、彼はもっともっと広い意味で、もっともっと大きな心で読んでいたのだな、というふうに思ってちょっとびっくりしました。

 

どのスピーチの中にもあった、感動ポイント


決勝に残った4冊は、私は読んだことがありません。自分ではたぶん読まないだろうという4冊でしたが、それぞれにおもしろいし、「ああ、こういうところで、こういうふうに読んでいく読み方もあるのか」と思ったりもしました。

『恋文の技術』(ポプラ社)
『恋文の技術』(ポプラ社)

※決勝に残った4冊
・『わたしが正義について語るなら』やなせたかし・著
・『恋文の技術』森見登美彦・著
・『結婚相手は抽選で』垣谷美雨・著
・『冷たい校舎の時は止まる』辻村深月・著

 

 

例えば、変な手紙を書く人の話(『恋文の技術』)。この本を推薦した彼女は、主人公について、「この人は彼氏には絶対嫌だけれど、友達ならまあよい。変な人が自分は好きだから」とかポロッと言ったりしたときに、「彼女って、変な人が好きなんだ(笑)」、「彼女にはすごくおもしろかったんだろうなあ」というふうに、彼女と友達になったみたいな気がしました。

『冷たい校舎の時は止まる』(講談社)
『冷たい校舎の時は止まる』(講談社)

8人が学校に閉じ込められる話(『冷たい校舎の時は止まる』)は、ミステリーですが、発表した彼女は、ある登場人物の「前向きなあきらめと明るい絶望」に対して自分は非常にシンパシーを得た、と語っていました。ただのミステリーではなくて、今の彼女が、今の年齢で読んで、共感するところがある本なのだろうなと思います。「本のミステリーの中の、ある繊細さ」と「今の彼女の、ある繊細さ」というのが垣間見えた気がして、それも感動したりしました。

 

『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)
『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)

『わたしが正義について語るなら』という本は読んでいませんが、アンパンマンの物語は、私もとても好きで、「やなせさんにとって正義というのは何なのか」というのは、折に触れて知る機会がありました。そういうのが全部思い出されて感動してしまいました。このように、すごくいろいろ感動ポイントが、皆さんの発表の中にあります。

けれども、ビブリオバトル普及委員会の谷口忠大さん(立命館大学准教授)に伺うと、「どの話に感動したか」「どの紹介の仕方に感動したか」とかではないとおっしゃっていますね。ビブリオバトルのポイントは「どれをいちばん読みたくなったか」だと。「どの話に感動した、とかじゃないんだ」と言い切るところが、とても理数系の方っぽくて、あっさりしているって思います(笑)。私なんか、「感動した」と「読みたいと思った」をごっちゃにしてしまうのですけれど、それは違うそうです。ビブリオバトルには、私にはない、読書のゲーム性というのがすごく表れる、おもしろく興味深いものだな、と思います。

 

本と自分の付き合いは変化する


2年後、3年後に、自分が紹介した小説をもう一回読み直したときに、たぶん感想などが全く変わっていると思います。もしかしたら、5年後10年後に、このビブリオバトルに出たときの原稿やメモを見て赤面するかもしれないし、「なぜあの本を読んだのかも思い出せない」、それくらい変わると思うんです。

「本と付き合う」ということは、1対1でただ動かずに付き合うわけではなくて、自分の成長に従って、自分の目線も変わるし、本の存在も変わるし、本が「言っていること」も変わります。そういうのも、おもしろいなと思います。

今日はすごく楽しい貴重な機会をありがとうございました。

<2014年度全国高等学校ビブリオバトル決勝大会にて>

角田光代さんのおススメ

『女生徒』太宰治(角川文庫)
「女生徒」とタイトルのついた短編集を挙げましたが、これは語り手がまさに高校生の方々と同世代だからに過ぎません。この短編が入っている小説集でも、ほかのものでも、ぜひ太宰治作品に若いときに触れてほしいと思います。ものすごく好きになるかもしれないし、大嫌いになるかもしれない。でも、十代のときに知り合わなければ、もしかしたら一生知り合う機会がないかもしれない、それが太宰治という作家だと思うので、紹介させていただきます。
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『罪と罰』

ドフトエフスキー(岩波文庫)

とても重厚な物語で、若い体力があるときでないと一気に読めません。書物を読むことは、泣いたり笑ったり感動したりするだけではない、もっと深く人生にかかわってくるものだと感じることのできる本だと思います。
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『赤頭巾ちゃん気をつけて』

庄司薫(新潮文庫刊)

私が高校生のとき、友だちを見つけたような気分で読んでいた本です。今の高校生はどう思うでしょうか。
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『深夜特急』シリーズ

沢木耕太郎(新潮文庫刊)

作家による「ビブリオバトル」で私が勧めたものです。ぜひ、旅のおもしろさ、すごさを感じて、実際に旅立ってほしいです。
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